四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「口語短歌・水曜サロンの会」(その45)

2022年07月27日 05時31分18秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その45)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「咲き初める 芙蓉」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】7月17日八ケ岳倶楽部に行って来ました。御存じのように八ケ岳倶楽部は
    俳優の柳生博さんが鬱蒼とした森を開墾し、白樺等ゼロから丹念に1本1本
    植えられた手作りの雑木林です。森が生きています。
    以下の短歌は2022年4月26日故人になられた柳生博さんを偲んで詠みました。
☆白樺の 緑に込めた 思い出が 魂宿る 八ケ岳倶楽部
☆太陽の こぼれ日届く 雑木林 賭けた情熱 五感に感ず
☆落ち着いた 散策路ある 木の道を 景色に誘われ 緑に染まる

                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 八ケ岳倶楽部に行かれ、故人になられた柳生博さんを偲んで詠われたとのこと。
 故柳生氏への何よりの供養になったことと思います。
 人が、その人生でなしうることは種々ありますが、あの広大な森を遺された柳生氏の
 業績と想い。それをくみ取りながら、森丸ごとを味わい詠うことは歌人として誇りある
 任務と思います。その一環として詠まれた詠歌には、柳生氏と、その残された森と木の道
 への哀惜の想いが滲んでいると感じます。
 一首目と、三首目を合作し少し手を入れさせて頂きましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★柳生氏の魂宿る木の道と 緑に染まる 八ケ岳倶楽部


【詞書】人類誕生 2001年宇宙の旅を観て
☆おお!今人類が誕生した! 
    全てを知り尽くせる妄想を抱き

                         自閑 (jikan314)さん
【短歌説明】
 スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の冒頭には、猿人が出て来て、
 動物の骨を手に取った時、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」
 が流れ、始めて道具として骨を使用して、人への進化が始まり、やがてそれを武器として、
 水飲み場での争いで、殺人を行います。そうしてその猿人が、勝利の雄叫びを上げ、
 骨を放り上げると、それが宇宙船になり、ワルツ「美しき青きドナウ」が流れると言う
 シーンがあります。
 その猿人から進化した人間は、全知全能の神になったかのように振る舞い、今も戦争で
 骨から発展した武器で殺し合いをしています。その驕りを象徴するようなシーンだと
 感じました。さて、「ツァラトゥストラはかく語りき」は現在、「ツァラトゥストラは
 こう語った」となっております。文語での表現と現代語の表現、どちらが優れている
 とかではなく、自分はどう感じたのか?読む相手がどう感じるのか?が重要ではないか?
 と生意気にも思っております。このシーンには、文語の格調を採りたいです。
 下記URLにYouTubeを貼り付けておりますので、御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/b5f47c66544a5b7e385822c2886dd4b6
【投稿外コメント】
 拙blog新古今和歌集の部屋では、伊勢物語、源氏物語、今昔物語など、自分の短歌に
 役立ちそうなものを読んでいます。
 今は源氏物語 葵ですが、気が向いた時に3ページづつなので、なかなか先に進みません。
 源氏の正妻の葵の上は、愛人の六条御息所の生霊に取り憑かれ、死んでしまいます。
 葵上の荼毘の煙を見て    源氏
  昇りぬる煙はそれと分ねどもなべて雲居の哀れなるかな
 喪服を3ヶ月着る事になって 源氏
  限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖をふちとなしける
 掛詞、本歌取りなどあって馴染みは無いと思います。古来これ程人々を引き付けた物語
 ですので、読んでみては?

【解説】
 「2001年宇宙の旅」は1968年に公開され、スタンリー・キューブリック監督が人類の
 進化の可能性を追求し、SF映画ならではのワクワクを盛り込み、息をのむような素敵な
 映画に仕上がっていたと記憶しています。
 しかし、AIの暴走により人類が滅んでしまうかもしれない、という危険性をも指摘して
 いて、かなりの先見性が見てとれます。この時点でのAIは未だ萌芽の状態でしたから…。
 また、ご指摘のように「全知全能の神のように振る舞い、今も戦争で殺し合い」をする
 驕りをも示唆していたと感じます。
 なお、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作、
 『ツァラトゥストラはかく語りき』は1980年代中期に、ブームになりましたが、
 「文語の格調」へ私も賛意に送りたいと思います。

 また、「伊勢物語、源氏物語、今昔物語」等々を原書で学ばれる自閑(jikan314)さんには
 頭が下がります。源氏物語だけでも、54帖、400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶ大作
 ですので、どうしても翻訳本に頼ってしまいます。
 「掛詞、本歌取り」は、この物語の和歌の中でも、かなり駆使されていて学びになりますね。



      「宗旦むくげ」

☆「ちょっとこい」けたたましくもなく声を
           負けじと更に つんざく蟬よ

                         クロママさん

【解説】
 異常気象のゆえでしょうか、大分遅れていましたが蝉がようやく鳴きはじめましたね。
 その声は、まさに「つんざく」ように聞こえてきて「蝉しぐれ」とは良く言ったものと
 感じます。
 かつては、「ちょっとこい」との表現で、コジュケイが鳴いていると理解される方も
 多かったと思いますが、今の時代少し説明がいると考えます。その点を踏まえて
 添削させて頂きました。いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★「ちょっとこい」コジュケイ鳴くも それよりも
             負けじと更に つんざく蟬よ


☆たのしみは 今朝の幸せ瓜をとる パチンと響くハサミの音を聞くとき 
☆たのしみは 初物手にし考える あれにこれにと心浮くとき 
☆たのしみは 辛い辛いと騒ぎつつ 旨いと食べる夫(つま)を見るとき

                         shima-千恵子さん
【短歌説明】fumiel-shimaさん ご自身の説明です。
 一首目、二首目はいずれもエアコン室外機の日除けを兼ねたゴーヤの小さな棚から
 収穫したものを手にしたときの喜びを詠んでいます。
 三首目は(fumiel-shima)が大好きな極辛の青唐辛子を食べる時の様子を詠った
 ものです。

【解説】
 いずれの独樂吟にも作者の「物事を俯瞰して見る」客観性と、心のゆとり、
 さらにはユーモアが感じられ、詠歌を味わう私たちも幸せな想いにしてくれます。
 特に、三首目は、共に歩まれた長い歳月の中で、夫を知り尽くした妻のゆとりと、
 ゆるぎない愛情の深さを改めて感じます。「騒ぎつつ」の表現が利いていますね。

☆「はやぶさ」をあやつる技術駆使しても ロシア侵略未だ止めえぬ
                         ポエット・M

【解説】
 「はやぶさ」は、近地球型とよばれる小惑星「イトカワ」を探査しました。この計画を
 通して、小惑星から表面の物質(サンプル)を地球に持ち帰る技術(サンプルリターン)を
 実証し、さらにイオンエンジン・自律航法・標本採取・サンプルリターンという4つの
 重要技術の実証を行いました。これにより、日本の惑星探査技術の優秀さを内外に証明
 しました。これら科学技術の力をはじめ、世界の英知を結集しても「ロシアの侵略」という
 蛮行を止められない政治力学の在り方を、私たちは冷静に考えてみる必要があるとの想いを
 詠ってみました。      「宇宙科学研究所 Hp」参照



     「桔梗 白色」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (46)
 11.富士山(3)


   わたしは山に向って目をあげる
            『詩篇』

   素足にて
     十国峠の
       野を翔ける
      かの日の君の
         手を取るごとく

    実朝の
      歌碑の歌こそ
         哀しけれ
       己が運命(さだめ)を
          知りて詠みしか

      はるかなる
        沖の小島に
           寄る波を
         かくかの将軍も
            眺めやりしか

     実朝を
      誰が益荒男と
         称すとも
        我れには哀し
          『金槐和歌集』


    源実朝の絶唱『金槐和歌集』
     ★箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
     ★大海の磯(いそ)もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも



     「オリエンタル・リリー」

   
【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】チョウキチさんからのコメントです。
 「思ひあれば 袖に蛍をつつみても 言はばや物を とふ人はなし」
  寂蓮法師は、身分の高い家の子弟で家を継げないから見かけ上出家したのでしょうか。
  心から出家したのでしょうか。心を隠しながらも、つい本音を漏らす。
  昔の人はある意味あけっぴろげで、気持ちを直に表現するのですね。
【コメントへのお答え】
 寂蓮法師は、僧俊海の子として生まれ、叔父である藤原俊成の養子となった後、長じて
 中務少輔になり、30歳代で出家されたとのことですね。
 その後、歌道に精進し三夕の歌をはじめ、叔父の目指した「幽玄」を表出する多くの
 優れた歌を詠っていますね。
 例として引かれた、
  ★思ひあれば 袖に蛍をつつみても 言はばや物を とふ人はなし

 この歌は、歌合せの際に詠まれ「夏の恋の心」として扱われた作品ですが、
 「宮仕えをする女性が、身分の高い男に淡い恋心を抱くが、人には告げられない」
 想いを詠んだと伝えられています。
 つまり、寂蓮法師が自らの想いではなく「宮仕えの女性」に替わって詠んだとの
 ことです。しかし、「私の恋心は包んでも隠し切れない蛍の光です」との想いは、
 寂蓮法師にも経験としてあったのではないかと思っています。この歌には、
 少なからぬ切迫感もありますので…。こんな想像をするのも、楽しいですね。


     「ノウゼンカズラ」

【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
コメント (6)
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