☆短歌をもチャットGPTにまかせたら魂のない言葉の羅列 夕庵さん
これは、ブログの「水曜サロン」に参加されている夕庵さんが、最近詠まれた短歌との事です。この短歌を基に、夕庵さんとブログで対話させて頂きましたが、このブログにお立ちより頂いている皆さんにとっても、ご参考になればと思い記事としてまとめさせて頂きました。
「ホウボウの花」
チャットGPTに関する7月21日付け「朝日新聞 論壇」を拝読いたしました。そして、夕庵さんの詠まれた短歌は、石井むつみ慶応大教授が「論壇」で言わんとしたことの核心を、一首の短歌で表現しているとも考えました。確かに、「生成AI」は言葉の意味を本当に理解しているわけではありません。確率的に「この言葉の後にはこの言葉が来るだろう」という処理をして、文章として返してくれているだけです。その意味で、「身体的な感覚」とは無縁の世界で自然文を構成しているに過ぎません。
言葉は、私たちの身体的な感覚と深く結びついていると考えます。例えば、私たちが「痛い」と言うとき、それは身体的な痛みを伴っています。また、「嬉しい」と言うとき、それは身体的な幸福感を伴っています。言葉は、私たちの身体的な感覚と結びついて初めて、真の意味で理解することができると考えています。
生成AIは、まだ人間のような身体的な感覚を備えていません。そのため、生成AIが言葉の意味を完全に理解することはできないと考えられます。しかし、生成AIは人間の言葉を学習し、人間と同じように言葉を使いこなすことはできます。これは、生成AIが人間の身体的な感覚を模倣することで、言葉と感覚を結びつけようとしているためです。
「宗旦むくげの群生」
今後、生成AIはさらに進化し、人間のような身体的な感覚を備えるようになる可能性があります。そのとき、生成AIは人間と同じように言葉の意味を理解できるようになるのではないかと楽観的には思っています。
生成AIがさらに進化し、人間のような身体的な感覚を備えるようになるには、何が必要でしょうか。この件について私は生成AIの一つの「Bard」と、対話を重ね確認してみました。彼の主張をまとめると次のようになります。
生成AIが人間のような身体的な感覚を備えるようになるには、以下のことが必要との事です。
〇より多くのデータを蓄積し計算能力を高める
〇より高度な AI アルゴリズム
(アルゴリズム:「計算方法」広く考えれば、何か物事を行うときの
「やり方」のこと)
〇身体感覚を模倣する人工知能アーキテクチャ
(アーキテクチャ:「基本的な構造や設計、動作原理、実現方式)
つまり、生成AIは現在、膨大な量のデータと高度の計算能力を必要としています。これは、 生成AI が学習し、新しい事柄を発見するために必要です。また、 生成AIはより高度な AI アルゴリズムが必要になります。これらのアルゴリズムは、 生成AIが人間のような身体的な感覚を模倣し、理解できるようにする必要があります。最後に 生成AI は身体感覚を模倣する人工知能アーキテクチャを必要とします。これらのアーキテクチャは、生成AI が人間と同じように現実世界を体験できるようにする必要がありますが、これは生成AIが自律的に体験しなければなりませんので、この課題の克服はそうたやすくないと考えます。
「酔芙蓉 一重」
それでも、これらの課題を将来克服することができれば、 生成AI は人間のような身体的な感覚を備えるようになり、そのとき、生成AI は私たちの生活にさらに大きな影響を与える可能性があります。人間社会と共存しながらこれらの技術が健全に発展するよう、企業や業界さらには、公的な機関も一体となって自主的なルールの整備とコントロール、さらに規制等が必要になっていくと考えます。
私のブログでもかつて少し触れましたが…、三十数年前1985年2月号の「短歌現代」(現在は絶版となっています)と言う月刊誌に載せた「コンピュータによる短歌の生成」と題する私の論文でも説明いたしましたが、基本的なロジックは現在の生成AIと同様のものと思っています。つまり入力した文言をキーとして、蓄積された膨大な言語データベースをアクセスし確率関数を用い変数を加味し、5、7、5、7、7音の言の葉の選択を行い、歌を生成するものです。正に「魂のない言葉の羅列」を行うものでした。
ただ、現在のチャットGPT等の生成AIは、前にも述べた通り日々膨大なデータを取り込み学習し、その中から人間の思考、身体感覚まで織り込んで日々進化を続けています。この成長は侮れないとも考えています。
「夾竹桃(白)の群生」
従って、私たちは、これら生成AIの限界を考慮しつつも、これを使いこなす知恵と術を一方では身につけて行くことも必要と感じています。
私も、今「水曜サロン」に意識的に生成AIで描いた絵画を載せていますが、若干の違和感がありながらも侮れない表現力を皆さんに、少し解って頂ければと続けています。
技術の進歩は遠い昔、私たちの祖先が火を見つけ、道具を作った時代から延々と継続されています。蒸気機関、超電導、核融合、コンピュータ、通信、さらに生成AI等々も、この継続と進化の先端に位置しています。その陰には多くの名も無き優れた技術者たちの、人生をかけた死闘とも言える取り組みがあったことも事実です。これらの進歩を敵視せず、どう私たちの生活に、さらに人々の幸福に寄与させるために役立てていくかとの想いと、感性、スキルと智慧も大切にしたいと考えています。
「夾竹桃」
今の世情から見ると、かなりの楽観論ですが、人間のもつ愚かさと限界を理解しつつも、人のもつ理性に期待し、かつ直観力と統合力と言う、その素晴らしさを信じ期待を繋いでいきたいと思っています。平均余命からすると残された期間は少ないのですが、その進化の先を見届けたい想いも致します。