四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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「終戦記念日」に寄せて

2024年08月14日 11時07分56秒 | 日々の歩み

 8月15日が巡ってきます。この日には多くの方が深い感慨を持っておられることと思います。
もう10日早ければ、あのヒロシマも、ナガサキも無かったのに…、もう半年早かったら東京大空襲も、沖縄地上戦も無かったのに…、等々、諸々の想いと後悔、さらには悲しみ、苦悩、怒り、怨念・・・の想いが、それぞれの方の胸の内に渦巻いていることと思います。
 戦後に生を受けた私達ですら、その日に深い感慨を抱いていますが、私達より上の世代の方たちの感慨はさらに深いものがあろうかと想います。

     「むくげ 八重」

 ただ、誤解を恐れずに申し上げると、この日を境に私達庶民は「ゆえなく殺されることが無くなった」こと、そして命令により戦場に赴くことが無くなった事は事実と思っています。そしてその日から79年の歳月の中で、私達の国は戦争をすることなく今日に至っています。その戦争をしない、させない一翼を日本国憲法9条が担ってきたと改めて思っています。
 そしてこの条文を変えようとする数多の勢力と対峙し、条文の持つ意味を広く明らかにし、守り育ててきた多くの方たちの存在と、その粘り強い闘いがあったこと、そして今も続いていることを心に刻みたいと思っています。
 国の内外において、筆舌に尽くしがたい犠牲と、底の抜けるほどの苦悩と、哀しみの蓄積と引き換えに手を入れた日本国憲法。改めて申し上げることではないのですが、日頃交流のある若い世代の方達から少なからぬ質問もありましたので、くどい説明となりますが、少し触れたいと思います。
 私達の国の憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則が貫かれています。
国民主権は、国の政治の決定権が国民にあるという考え方です。国民が選挙で代表を選んで、その代表が国を運営をすることを明示しています。そこには選ぶ見識と責任、その結果を監視する責任も伴うことを明記したいと思います。平和主義は戦争を放棄し、武力による威嚇や武力の行使をしないという考え方です。さらに、基本的人権の尊重は、人が生まれながらに持っている、生きる権利や自由を大切にする考え方を言います。

 なお、憲法は、国民を縛るものではなく、むしろこの国の為政者を縛るものと考えます。この点の誤解が為政者の方に未だあることを憂いたいと思います。具体的には、憲法は国の政治の基本を定め、国民の権利を明確にし、国家の統治に関する規定を含んでいることを付け加えたいと思います。

     「夾竹桃 白色」

 ここでいう平和主義の根幹をなすものに、日本国憲法9条があります。この条文では戦争の放棄と、武力による威嚇や武力の行使を禁止しています。自衛隊は、あくまでも自国の平和を守るための存在であり、海外への武力行使は認められていません。さらに、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないために、平和な国づくりを目指すことを明確に示しています。これらは、私たち日本人の暮らしや社会のあり方に深く関わっており、ロシアのウクライナ侵略の惨状、さらにガザでの殺戮が未だ続く中で、今もなお重要な意味を持ち続けていると考えます。
 なお、戦争の悲惨さに触れる際に「大東亜共栄圏」の名のもとに、中国、東南アジア、太平洋諸島など、多くの地域を侵略し現地住民の方々に多大な犠牲をもたらした事実と加害責任を、私達は日本国民として忘れてはならないものと考えます。

 昨今、自衛隊とアメリカ軍は、共同訓練の頻度や規模を拡大しています。複雑化する国際情勢の中で、有事の際に迅速かつ効果的に対応するためにとのことですが、両国の連携強化が「指揮系統の統合」という実態に向かっています。これらに対して、日本国憲法は国民主権を原則としており、外国の軍隊の指揮下に入ることは、いかなる理由付けをしようと、この原則に反することを改めて申しげたいと思います。


     「高砂百合 鎮魂の思いを込めて」

 縷々申し上げてきましたが、敗戦記念日を前に二度と再び「今を戦前にしない」との想いを込めて纏まりの
ない文を認めました。
 私達は、戦後に生を受けながらも、戦争と、その戦争のもたらした悲劇を目の当たりにして育った世代の一人です。戦争の悲劇と惨状を身をもって味わった私たちの父母たち、また私たちが青春時代に接した生きたくも生きられなかった被爆二世や、体内被曝の十字架を背負った友たちの、言葉に表現と切れなかった悲しみに満ちた想いの数々。その想いのひとかけらでも拾い、咀嚼し次の世代に伝えていく使命を私たちには課せられているとの想いがあります。
 改めて戦争に向かういかなる流れにも「否」というささやかでも、きっぱりとした声を上げ続けて行きたいと思っています。その意味で、2024年長崎市長も「平和宣言」で述べていましたが「一人ひとりは微力であっても、無力ではありません」の言葉通り、草の根の一人として微力ながらも声を出し続けたいと思います。

コメント (6)
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