3月21日、念願の横浜・根岸の三渓園に行ってきました。
三渓園は明治の実業家で芸術愛好家でもあった原三渓(本名 富太郎)が作り、明治39年(1906年)に一般公開された日本庭園です。広さは、17.5万㎡と東京ドームの面積の3倍強にも及び、とても散策しがいがあります。園内は緑豊かで、庭園が住宅地や工場地に囲まれていることをすっかり忘れさせてくれます。
園内には京都や鎌倉などから移築した重要文化財を含む歴史的建造物が配され、自然とよく調和してえもいえぬ風情を醸し出しています。園内にいると思わず京都か鎌倉にでもいるかのような錯覚を覚えます。私のお気に入りの建物は、三渓園のシンボルの三重塔と京都から移築した聴秋閣です。残念ながら旧矢箆原家住宅以外は、建物の内部へ入ることはできませんが、一部の建物は有料で茶会や句会などの催事会場として利用可能です。
桜、梅、藤、蓮など四季折々の草木が植えられた園内は、四季ごとに違った味わいがあります。私が訪れた日には、桜の開花にはまだ早く、梅や水仙が盛りを過ぎていました。あと一週間もすれば、園内は桜に彩られとても風情あることでしょう。ぜひ桜や蓮、紅葉の時期に再度来園したいと思います。
三渓園は今年で開園から100年を迎えます。関東大震災や第二次世界大戦の空襲で大被害を被ったこともありますが、ほぼ昔の姿を取り戻し現在まで人々に愛されてきました。今後もこのすばらしい三渓園が続いて欲しいと心から願うばかりです。
三渓園の後、立ち寄った横浜市電保存館は、明治37年(1904)から昭和47年(1972)までの約70年間横浜市民の足として活躍した市電の歴史を写真、映像、年表と実物資料を使って紹介しています。保存館の見どころは大正時代から市電廃止まで使用された7両の市電車両の実物展示です。車両は動きませんが、車内見学は可能です。こじんまりとして昔懐かしい市電車両を見るとなんとなくほっとします。市電に興味のある方は三渓園の帰りに立ち寄ってはいかがでしょうか。
【三渓園】
大池と三重塔。
三渓園のシンボル、旧燈明寺三重塔。康正3年(1457年)建築。京都・燈明寺から移築したもので、関東地方では最古の塔です。
三重塔へいく小道にある竹のトンネル。
梅と水仙。
旧東慶寺仏殿。「縁切り寺」で知られる鎌倉・東慶寺にあった仏殿。寛永11年(1634年)建築。
旧矢箆原家住宅。岐阜県白川郷にあった江戸時代の合掌造を移築。内部は公開されています。
薄墨桜。岐阜県から移植。旧燈明寺本堂の近くにあります。
臨春閣。紀州徳川家初代・頼宣が慶安2年(1649年)、和歌山・紀ノ川沿いに建てた夏の別荘を移築。
旧天瑞寺寿塔覆堂。豊臣秀吉が母の長寿を祝って天正19年(1591年)に京都・大徳寺に建てた寿塔の覆堂を移築。
天授院。鎌倉・建長寺近くの心平寺という廃寺に建てられていた地蔵堂を移築。慶安4(1561年)建築。
聴秋閣。京都・二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの建築。元和9年(1623年)建築。
小川。心地よい音を立てながら流れています。
【横浜市電保存館】
523号車。昭和3年(1928年)に購入され、昭和44年(1969年)廃車。おしゃれなデザインの車両です。
1104号車。昭和3年購入、市電全廃まで活躍しました。
1104号車内部。座席はクッションがきいていて座り心地よし。
1510号車。戦後の車両です。
1510号車の運転席。
10号車。大正2年(1913年)、本牧にあったキリンビール工場のビールを運ぶために製造された無蓋列車です。
三渓園は明治の実業家で芸術愛好家でもあった原三渓(本名 富太郎)が作り、明治39年(1906年)に一般公開された日本庭園です。広さは、17.5万㎡と東京ドームの面積の3倍強にも及び、とても散策しがいがあります。園内は緑豊かで、庭園が住宅地や工場地に囲まれていることをすっかり忘れさせてくれます。
園内には京都や鎌倉などから移築した重要文化財を含む歴史的建造物が配され、自然とよく調和してえもいえぬ風情を醸し出しています。園内にいると思わず京都か鎌倉にでもいるかのような錯覚を覚えます。私のお気に入りの建物は、三渓園のシンボルの三重塔と京都から移築した聴秋閣です。残念ながら旧矢箆原家住宅以外は、建物の内部へ入ることはできませんが、一部の建物は有料で茶会や句会などの催事会場として利用可能です。
桜、梅、藤、蓮など四季折々の草木が植えられた園内は、四季ごとに違った味わいがあります。私が訪れた日には、桜の開花にはまだ早く、梅や水仙が盛りを過ぎていました。あと一週間もすれば、園内は桜に彩られとても風情あることでしょう。ぜひ桜や蓮、紅葉の時期に再度来園したいと思います。
三渓園は今年で開園から100年を迎えます。関東大震災や第二次世界大戦の空襲で大被害を被ったこともありますが、ほぼ昔の姿を取り戻し現在まで人々に愛されてきました。今後もこのすばらしい三渓園が続いて欲しいと心から願うばかりです。
三渓園の後、立ち寄った横浜市電保存館は、明治37年(1904)から昭和47年(1972)までの約70年間横浜市民の足として活躍した市電の歴史を写真、映像、年表と実物資料を使って紹介しています。保存館の見どころは大正時代から市電廃止まで使用された7両の市電車両の実物展示です。車両は動きませんが、車内見学は可能です。こじんまりとして昔懐かしい市電車両を見るとなんとなくほっとします。市電に興味のある方は三渓園の帰りに立ち寄ってはいかがでしょうか。
【三渓園】
大池と三重塔。
三渓園のシンボル、旧燈明寺三重塔。康正3年(1457年)建築。京都・燈明寺から移築したもので、関東地方では最古の塔です。
三重塔へいく小道にある竹のトンネル。
梅と水仙。
旧東慶寺仏殿。「縁切り寺」で知られる鎌倉・東慶寺にあった仏殿。寛永11年(1634年)建築。
旧矢箆原家住宅。岐阜県白川郷にあった江戸時代の合掌造を移築。内部は公開されています。
薄墨桜。岐阜県から移植。旧燈明寺本堂の近くにあります。
臨春閣。紀州徳川家初代・頼宣が慶安2年(1649年)、和歌山・紀ノ川沿いに建てた夏の別荘を移築。
旧天瑞寺寿塔覆堂。豊臣秀吉が母の長寿を祝って天正19年(1591年)に京都・大徳寺に建てた寿塔の覆堂を移築。
天授院。鎌倉・建長寺近くの心平寺という廃寺に建てられていた地蔵堂を移築。慶安4(1561年)建築。
聴秋閣。京都・二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの建築。元和9年(1623年)建築。
小川。心地よい音を立てながら流れています。
【横浜市電保存館】
523号車。昭和3年(1928年)に購入され、昭和44年(1969年)廃車。おしゃれなデザインの車両です。
1104号車。昭和3年購入、市電全廃まで活躍しました。
1104号車内部。座席はクッションがきいていて座り心地よし。
1510号車。戦後の車両です。
1510号車の運転席。
10号車。大正2年(1913年)、本牧にあったキリンビール工場のビールを運ぶために製造された無蓋列車です。