(その1はこちら)
■霊巖寺
浄土宗。江戸時代・寛永元年(1624)、徳川家康・秀忠・家光から信頼のあった霊巖上人が霊岸島(中央区)に創建。明暦3年(1657)の明暦の大火による焼失後、万治元年(1658)に海浜の低湿地を埋立て、現在地に移転。
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松平定信の墓。国の史跡。松平定信(1758~1829)は江戸中期の陸奥白河藩主で、天明7年(1787)老中となり、寛政の改革を行った。
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銅造地蔵菩薩坐像。江戸時代・享保2年(1717)ごろ深川の地蔵坊正元が願主となって建てた江戸六地蔵の一つで、高さ約2.7メートルの像。江戸六地蔵は当寺の他、品川寺(品川区南品川2丁目)、太宗寺(新宿区新宿2丁目)、 真性寺(豊島区巣鴨3丁目)、東禅寺(台東区東浅草3丁目)、永代寺(江東区。明治時代の廃仏毀釈により消滅)にあった。
■深川江戸資料館
江戸時代末期の天保年間(1830~1843)頃の深川佐賀町の町並みを実物大で再現した資料館。表通りの大店や土蔵、長屋や船宿等が再現され、建物内には時代や場所、住む人々の家族構成や職業、年齢を細かく設定しそれにふさわしい生活用品を展示。一日の移り変わりを音と光で表現し、季節ごとに展示内容を変えている。
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八百屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/bb/8e6e1ad10a5d9f80b5b4c86f69e15bbb.jpg)
つき米屋。
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船宿。
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船宿の座敷。
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長屋。
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木場の木挽職人の住まい。
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船宿の船頭の住まい。
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天ぷら屋台。
■紀伊国屋文左衛門の墓
紀伊国屋文左衛門(1669~1734)は紀州出身で、若いとき江戸に出て、材木業を営み、幕府と関わり材木豪商となった。後年は、門前仲町一の鳥居付近(門前仲町1丁目)に住み、享保19年(1734)に66歳で没したといわれ、成等院に葬られた。墓は左隅にあり、正面の石碑は、昭和38年(1963)に建てられたもの。
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紀伊国屋文左衛門の墓。
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石碑。
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松下電器産業(現:パナソニック)が奉納した石灯籠。創業者の松下幸之助氏が和歌山出身だったからだろうか。
■滝沢馬琴誕生の地
滝沢馬琴は明和4年(1767)に、この地にあった松平信成邸内で、下級武士の五男として誕生。成人後、山東京伝に師事し黄表紙作家となり、後に読本に転向、82歳でなくなるまで「南総里見八犬伝」をはじめ約470種の著作を著した。
モニュメントは、国立国会図書館に所蔵されている106冊分の原本の寸法を測り、2つの山に分けて積み重ねられた形をしている。
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■間宮林蔵の墓
間宮林蔵(1775-1844)は常陸国の出身で、伊能忠敬に測量術を学び、文化5年(1808)から翌年にかけ、樺太(サハリン)全土を探検し、間宮海峡を発見、樺太が島であることを明らかにした。晩年は、深川蛤町(門前仲町付近)に住み、天保15年(1844)に65歳(70歳という説もある)で没し、本立院(平野1丁目)に葬られた。
林蔵の墓は、本立院の墓地であったところにあり、本立院とは離れている。
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■霊巖寺
浄土宗。江戸時代・寛永元年(1624)、徳川家康・秀忠・家光から信頼のあった霊巖上人が霊岸島(中央区)に創建。明暦3年(1657)の明暦の大火による焼失後、万治元年(1658)に海浜の低湿地を埋立て、現在地に移転。
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松平定信の墓。国の史跡。松平定信(1758~1829)は江戸中期の陸奥白河藩主で、天明7年(1787)老中となり、寛政の改革を行った。
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銅造地蔵菩薩坐像。江戸時代・享保2年(1717)ごろ深川の地蔵坊正元が願主となって建てた江戸六地蔵の一つで、高さ約2.7メートルの像。江戸六地蔵は当寺の他、品川寺(品川区南品川2丁目)、太宗寺(新宿区新宿2丁目)、 真性寺(豊島区巣鴨3丁目)、東禅寺(台東区東浅草3丁目)、永代寺(江東区。明治時代の廃仏毀釈により消滅)にあった。
■深川江戸資料館
江戸時代末期の天保年間(1830~1843)頃の深川佐賀町の町並みを実物大で再現した資料館。表通りの大店や土蔵、長屋や船宿等が再現され、建物内には時代や場所、住む人々の家族構成や職業、年齢を細かく設定しそれにふさわしい生活用品を展示。一日の移り変わりを音と光で表現し、季節ごとに展示内容を変えている。
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八百屋。
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つき米屋。
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船宿。
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船宿の座敷。
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長屋。
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木場の木挽職人の住まい。
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船宿の船頭の住まい。
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天ぷら屋台。
■紀伊国屋文左衛門の墓
紀伊国屋文左衛門(1669~1734)は紀州出身で、若いとき江戸に出て、材木業を営み、幕府と関わり材木豪商となった。後年は、門前仲町一の鳥居付近(門前仲町1丁目)に住み、享保19年(1734)に66歳で没したといわれ、成等院に葬られた。墓は左隅にあり、正面の石碑は、昭和38年(1963)に建てられたもの。
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紀伊国屋文左衛門の墓。
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石碑。
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松下電器産業(現:パナソニック)が奉納した石灯籠。創業者の松下幸之助氏が和歌山出身だったからだろうか。
■滝沢馬琴誕生の地
滝沢馬琴は明和4年(1767)に、この地にあった松平信成邸内で、下級武士の五男として誕生。成人後、山東京伝に師事し黄表紙作家となり、後に読本に転向、82歳でなくなるまで「南総里見八犬伝」をはじめ約470種の著作を著した。
モニュメントは、国立国会図書館に所蔵されている106冊分の原本の寸法を測り、2つの山に分けて積み重ねられた形をしている。
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■間宮林蔵の墓
間宮林蔵(1775-1844)は常陸国の出身で、伊能忠敬に測量術を学び、文化5年(1808)から翌年にかけ、樺太(サハリン)全土を探検し、間宮海峡を発見、樺太が島であることを明らかにした。晩年は、深川蛤町(門前仲町付近)に住み、天保15年(1844)に65歳(70歳という説もある)で没し、本立院(平野1丁目)に葬られた。
林蔵の墓は、本立院の墓地であったところにあり、本立院とは離れている。
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