円東寺「寺庭菜園」のホウレンソウが雨と暖かさでスクスク育ってきました。パチパチ!
「うそも方便」の言葉などで知られる『方便』ですが、その意味を「大義のためには、多少のうそをついたっていいんだ」と誤解している人がたまにいます。しかもその大義が「自分の都合通りにするための理由付け」だったりします。
『大日経・住心品』の中でも有名な”方便を究竟と為す”ですが、その句だけを見て、俗世の生活を全肯定する言葉、と思われがちです。しかし、直前の2つを合わせた「三句の法門」として、三つ揃っていないといけないと私は解釈しています。
三つとはつまり
菩提心を因と為し 大悲を根本と為し 方便を究竟と為す
です。意味は
仏さまのようになりたいという入口を経て、慈悲の心が芽生えれば、その人の行動は仏の働きである、ということです(たぶん)。
菩提心も大悲もないのに、いきなり、自分は絶対の存在なんだから信じろ、崇めろと言われても、、、、ねえ?
不思議なんですけど、そういう方って、やたらとこんなセリフを発信するんです。
「今はみんなには信じてもらえないけど、信じてもらえるようにがんばる」
って。
頑張らなくてもいいですよ。
「自分が間違っていると内心知っている人こそ多弁である」ことは、大抵の大人は知っていますので。
凡夫を自覚する我らは、言葉ではなく事実を積み重ねていきましょう。
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