楽してな怠ける、という意味では御座いません。
何事も楽しむに如かずです。
孔子の弟子の顔回は、とても貧乏で貧しい生活をされていましたが彼は、それを苦にしません。むしろ楽しそうであります。
孔子は生活が苦しい願回に、「何故、食べる物、着る物も満足に無いのに、そんなに楽しいのか。」孔子の問いに顔回は、「天が回り、地が動き、人が生きている道を見いだし、歩むのが楽しくて仕方が無いのです」と。
貧乏もまた道であり願回は、それすら楽しく物事の本質を悟っておりました。
孔子は、その徳を褒め、顔回の番頭に為ってその家を治めてみたいと言いました。天に愛される人は早世が宿命なのか、若い時に顔回は亡くなったようです。孔子は取り乱し悲しんだようであります。
早世な人が天に愛されるのも真実。長寿な人も天に愛されています。いずれにしろ全ての人は天に愛されているのです。
話がそれました。私は、先天坐法を老祖の為、自分を救う為にしていました。少しずつですが努力で坐をするのでなく、楽しくなってきて坐をするようになりました。2~3年の話では、ありません。
物事を成すには、3年で会得、5年で体得、10年で自得すると私は、考えます。そして、さらなる道へと。
だけど、私は、坐を放棄したことがあります。伊勢白山道氏との出会いです。伊勢白山道氏は、自ら瞑想をしたかとが、無いにも関わらず、瞑想とは弊害であると、自己の霊能力なる妄想力で述べ、他人に瞑想を辞めるべきであると、強制されておりました。
伊勢白山道の個別による説得力により、数日間、断念したことがございます。
しかし不死鳥は、蘇り羽ばたきます。私は全ての幻想、伊勢白山道の神示と云う妄想から解き放たれました。
今この時も仕事も生活も人間関係も楽しくない人は、多いです。しかし、物事は変ります。不変の存在は、神様のみです。
陰が極まれば陽が必ず訪れます。歯を食いしばりながら、病の痛みに耐えながら、心の苦しみに耐えながら。死を覚悟すれば全てが乗り越えられるのです。
耐えられなければ、私は、このように唱えます。「しせいせんてんろうそ」と。
道とは、歩めばその人が本源に至るのです。六道の輪廻の世界を漂ってた人が、根源の本に還れるのが楽しくない筈がありません。
老祖は、悲しみの海を渡る、その本源に至る慈船でもあるのです。
「子曰く、回の人為りや、中庸を択び、一善を得れば即ち拳々服膺してこれを失わず。」
「苦しい時もある。楽しい時もある。だからこの世は、面白い。」
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[平成三十年11月8日 文字の誤り等を一部訂正しました。]
何事も楽しむに如かずです。
孔子の弟子の顔回は、とても貧乏で貧しい生活をされていましたが彼は、それを苦にしません。むしろ楽しそうであります。
孔子は生活が苦しい願回に、「何故、食べる物、着る物も満足に無いのに、そんなに楽しいのか。」孔子の問いに顔回は、「天が回り、地が動き、人が生きている道を見いだし、歩むのが楽しくて仕方が無いのです」と。
貧乏もまた道であり願回は、それすら楽しく物事の本質を悟っておりました。
孔子は、その徳を褒め、顔回の番頭に為ってその家を治めてみたいと言いました。天に愛される人は早世が宿命なのか、若い時に顔回は亡くなったようです。孔子は取り乱し悲しんだようであります。
早世な人が天に愛されるのも真実。長寿な人も天に愛されています。いずれにしろ全ての人は天に愛されているのです。
話がそれました。私は、先天坐法を老祖の為、自分を救う為にしていました。少しずつですが努力で坐をするのでなく、楽しくなってきて坐をするようになりました。2~3年の話では、ありません。
物事を成すには、3年で会得、5年で体得、10年で自得すると私は、考えます。そして、さらなる道へと。
だけど、私は、坐を放棄したことがあります。伊勢白山道氏との出会いです。伊勢白山道氏は、自ら瞑想をしたかとが、無いにも関わらず、瞑想とは弊害であると、自己の霊能力なる妄想力で述べ、他人に瞑想を辞めるべきであると、強制されておりました。
伊勢白山道の個別による説得力により、数日間、断念したことがございます。
しかし不死鳥は、蘇り羽ばたきます。私は全ての幻想、伊勢白山道の神示と云う妄想から解き放たれました。
今この時も仕事も生活も人間関係も楽しくない人は、多いです。しかし、物事は変ります。不変の存在は、神様のみです。
陰が極まれば陽が必ず訪れます。歯を食いしばりながら、病の痛みに耐えながら、心の苦しみに耐えながら。死を覚悟すれば全てが乗り越えられるのです。
耐えられなければ、私は、このように唱えます。「しせいせんてんろうそ」と。
道とは、歩めばその人が本源に至るのです。六道の輪廻の世界を漂ってた人が、根源の本に還れるのが楽しくない筈がありません。
老祖は、悲しみの海を渡る、その本源に至る慈船でもあるのです。
「子曰く、回の人為りや、中庸を択び、一善を得れば即ち拳々服膺してこれを失わず。」
「苦しい時もある。楽しい時もある。だからこの世は、面白い。」
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[平成三十年11月8日 文字の誤り等を一部訂正しました。]