我々、人間には内なる神が居られます。根源神から派生した生命は、人のもっとも尊ぶものです。そして、生命にとって貴重なものは神気です。その神を存し、気を養うには道を修め、慎んで道に合することです。
ちなみに、ここで言う神気とは、誰にでも内在しているものです。この世界に至る所に充満しています。霊能者さんが指定した神域、聖域にしか神気が無いとか、教祖様のみが神気を出されることを神様より許されていると称されるのは、眉唾です。
死後の成道には心と体の健康が必要なようです。死後、あの世に行きつく際、病気であれば、それも付随して霊体にも影響があるようです。何故なら、人の霊的生命の七つの門、チャクラは、人の臓器等と密接に関係があるからです。
世間一般の人は、真我と出会うことも会いたいと思うこともなく、自己の前にある人我、欲望に夢中になります。
欲望は、極めることは出来ません。しかもそれを追い求めることで限りある生命が失われている事に気付きません。貪り怒り、愚痴、愛欲、得失憂恐によりほとんどの人が過度の消耗損傷により本来の寿命を損なっています。
疾病の因が長い間、かくれ潜み、内在する神の気を損なっているのに依然として自覚できないのです。
養生の道は、未だに病まない以前に治療する。すでに乱れているのを治めるのではなくて、乱れない以前に治めるのです。
先天坐の道は、養生の真義を簡潔に総括しています。坐は、心を安定にし、安定を得れば静寂となります。欲念は徐々に減少し、最後には無欲となります。各器官は、健全に維持され、先天の無形の炁霊は、活発になり充実し、有形無形ともに後天より先天に返り、先天の気は後天において生成され本性が成就されます。本性に還りその性を練れば霊を孕み神化するのです。
「神は人より遠からず、人が神を欲すれば神が至る、但し神に不同あり、念によって分かれる。念善ならば神の至るところは吉。念悪なれば神の至るところも凶。」
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世間一般の人は、真我と出会うことも会いたいと思うこともなく、自己の前にある人我、欲望に夢中になります。
欲望は、極めることは出来ません。しかもそれを追い求めることで限りある生命が失われている事に気付きません。貪り怒り、愚痴、愛欲、得失憂恐によりほとんどの人が過度の消耗損傷により本来の寿命を損なっています。
疾病の因が長い間、かくれ潜み、内在する神の気を損なっているのに依然として自覚できないのです。
養生の道は、未だに病まない以前に治療する。すでに乱れているのを治めるのではなくて、乱れない以前に治めるのです。
先天坐の道は、養生の真義を簡潔に総括しています。坐は、心を安定にし、安定を得れば静寂となります。欲念は徐々に減少し、最後には無欲となります。各器官は、健全に維持され、先天の無形の炁霊は、活発になり充実し、有形無形ともに後天より先天に返り、先天の気は後天において生成され本性が成就されます。本性に還りその性を練れば霊を孕み神化するのです。
「神は人より遠からず、人が神を欲すれば神が至る、但し神に不同あり、念によって分かれる。念善ならば神の至るところは吉。念悪なれば神の至るところも凶。」
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