人の魂は輪廻に囚われています。何故に輪廻が存在するのでしょうか。
人が死後赴く世界、天国や地獄等の正体は人の心、即ち想念であるといわれています。仏教の六道も同じことでしょう。
人の心には天国、地獄、そして、修羅、餓鬼、畜生全てがあります。
本来、魂が主体であり心がそれに付随するものですが、物質世界に生きる現代の人は心が主体で魂がそれに冒されています。
それが六道輪廻、悲しみの海を漂わねばならぬ人の定めでした。
心を清め、魂に随う。これが永遠なる生命への道、涅槃です。老祖はこの秘を玄関(チャクラ)であると述べられています。
静坐による自己発揚は、額にある上丹田の陽気、即ち火の精気が体の前方(女性は後方)を下降します。すると臍下丹田にある陰気、即ち水の精が上昇し、気が回ります。水火が交われば、水火既済の相と成り、水輪によりラポール(調和)状態となります。坐道の効用は水を化して火と為し、火を化して火を生じます。これを坎離の秘訣と申します。
これにより、不可思議なる各丹田が覚醒、活性され、肉体を巡る生命力の主脈の流れは強化されます。
あくまでも自然のままです。心理的にも肉体的にも強制はありません。
人は道を歩み、自己修練により、低次の自身(心)を凌駕し、高次の自身(魂)を得ることが出来るのであれば、輪廻の悲しみの海を彷徨うことは無くなります。至る先は永遠なる神の魂の世界なのです。
「静坐の正しい方法とはなんであろうか。それは如何なる心理的活動も伴わず、土に刺さった杭の如くに完璧な静寂の中でただ坐ることである。」
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人の心には天国、地獄、そして、修羅、餓鬼、畜生全てがあります。
本来、魂が主体であり心がそれに付随するものですが、物質世界に生きる現代の人は心が主体で魂がそれに冒されています。
それが六道輪廻、悲しみの海を漂わねばならぬ人の定めでした。
心を清め、魂に随う。これが永遠なる生命への道、涅槃です。老祖はこの秘を玄関(チャクラ)であると述べられています。
静坐による自己発揚は、額にある上丹田の陽気、即ち火の精気が体の前方(女性は後方)を下降します。すると臍下丹田にある陰気、即ち水の精が上昇し、気が回ります。水火が交われば、水火既済の相と成り、水輪によりラポール(調和)状態となります。坐道の効用は水を化して火と為し、火を化して火を生じます。これを坎離の秘訣と申します。
これにより、不可思議なる各丹田が覚醒、活性され、肉体を巡る生命力の主脈の流れは強化されます。
あくまでも自然のままです。心理的にも肉体的にも強制はありません。
人は道を歩み、自己修練により、低次の自身(心)を凌駕し、高次の自身(魂)を得ることが出来るのであれば、輪廻の悲しみの海を彷徨うことは無くなります。至る先は永遠なる神の魂の世界なのです。
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