NHKTVで未解決事件簿、オウム真理教が報道されていました。
悲しきかな真面目な純粋な人間が業の渦に巻き込まれていましたね。私が高校の時に家によくオウムのチラシが入っていましたよ。私は、その時、コスモメイト、深見青山さんの本に凝っていました。そのおかげで、出口王仁三郎さんを知り、笹目仙人を知り、根本誠乾さんを知り、道院を知りました。全てはやはり縁です。善因善果、悪因悪果。
しかし、道を歩む人、修める人は体験している筈です。我が道が高まれば、魔も又それ以上高まることを。道を歩む人はのんびりしていそうでも、吾が道に油断は大敵であり、君子はその独りを慎むのです。修道の極意はここにあります。私も肝に銘じなければなりません。
道と魔は、常に切磋琢磨であります。ここに他人を挟みません。あくまでも内在神と人我(欲心)との凌ぎ合いです。
ここに霊や他人等を挟むと道から離れます。
人を救い導くために、道を興し、教を興す人がいます。最初の発願は純粋であったとしても、段々と初めの頃と感じが変わる、教団は多い様です。人間はお金と人間関係(色欲、好悪)名誉が関わると、悟りを開いた方でも簡単に道から反れます。ある教祖は本を一冊しか出さないと言っても気がつけば、どんどん本を出しています。ある教祖は宗教団体にしないと言ってもお金の為に宗教法人を申請します。
面白いのは道魔争うが如く他人を批判することです。
伊勢白山道リー○ン氏はある裁判沙汰が多い新興教団の教祖を海老の神霊が憑いているだの、最近では地獄の黒邪霊等申すようです。
ワールドメイト深見○州氏はあるネット教祖を金毛九尾だと申します。
信者同士は、お互いに、やれ、蛇ついているだの狐が憑いているだの申し合っているのかもしれません。
二人の教祖は信者からすれば神の様な人なのでしょう。神の様な感性があれば人を動物霊に観える道理は、御座いません。神様は人を慈眼で観ておられるのです。人が人を動物に観えるのは憑きものによる偏見、邪眼であります。
人は人に思いやりを持つのが仁道です。互いに威嚇しあえばそこに道無く、魂奪、魂喰いの世界が拡がるだけです。
人の上に立つ者は、他人を戒める前に自分を戒め、その意(心)を誠にせねばなりません。
「小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。君子を見てのち厭然として、その不善をおおいてその善を著す。人の己を視ること、その肺肝を見るがごとく然り。即ち何の益かあらん。これを内に誠あれば外にあらわれるという。故に君子は必ずその独りを慎むなり。」
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悲しきかな真面目な純粋な人間が業の渦に巻き込まれていましたね。私が高校の時に家によくオウムのチラシが入っていましたよ。私は、その時、コスモメイト、深見青山さんの本に凝っていました。そのおかげで、出口王仁三郎さんを知り、笹目仙人を知り、根本誠乾さんを知り、道院を知りました。全てはやはり縁です。善因善果、悪因悪果。
しかし、道を歩む人、修める人は体験している筈です。我が道が高まれば、魔も又それ以上高まることを。道を歩む人はのんびりしていそうでも、吾が道に油断は大敵であり、君子はその独りを慎むのです。修道の極意はここにあります。私も肝に銘じなければなりません。
道と魔は、常に切磋琢磨であります。ここに他人を挟みません。あくまでも内在神と人我(欲心)との凌ぎ合いです。
ここに霊や他人等を挟むと道から離れます。
人を救い導くために、道を興し、教を興す人がいます。最初の発願は純粋であったとしても、段々と初めの頃と感じが変わる、教団は多い様です。人間はお金と人間関係(色欲、好悪)名誉が関わると、悟りを開いた方でも簡単に道から反れます。ある教祖は本を一冊しか出さないと言っても気がつけば、どんどん本を出しています。ある教祖は宗教団体にしないと言ってもお金の為に宗教法人を申請します。
面白いのは道魔争うが如く他人を批判することです。
伊勢白山道リー○ン氏はある裁判沙汰が多い新興教団の教祖を海老の神霊が憑いているだの、最近では地獄の黒邪霊等申すようです。
ワールドメイト深見○州氏はあるネット教祖を金毛九尾だと申します。
信者同士は、お互いに、やれ、蛇ついているだの狐が憑いているだの申し合っているのかもしれません。
二人の教祖は信者からすれば神の様な人なのでしょう。神の様な感性があれば人を動物霊に観える道理は、御座いません。神様は人を慈眼で観ておられるのです。人が人を動物に観えるのは憑きものによる偏見、邪眼であります。
人は人に思いやりを持つのが仁道です。互いに威嚇しあえばそこに道無く、魂奪、魂喰いの世界が拡がるだけです。
人の上に立つ者は、他人を戒める前に自分を戒め、その意(心)を誠にせねばなりません。
「小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。君子を見てのち厭然として、その不善をおおいてその善を著す。人の己を視ること、その肺肝を見るがごとく然り。即ち何の益かあらん。これを内に誠あれば外にあらわれるという。故に君子は必ずその独りを慎むなり。」
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