今日は、15:00から教育史研究会、17:00から日本教育史読書会。
今日はもう帰ろうかと思っていた際、自分で書いた昔の論文を急に読み始めました。その際、最近従来とは比べ物にならないほど多様な理論・枠組を勉強してきて(従来が貧弱だったともいう)視野が広がったせいか、今までの論文が底の浅いものだなぁと実感してしまいました。なるほど、深い知識、広い視野に触れるということは、論文に対する眼力も育てるのだなあ。私なんかはまだまだヒヨッコですが、それでも昔の自分の論文が底の浅いものであることがわかることに、充実感だか、悲しいんだかよくわからない感情がわいてきます。
「できる人ほど論文が書けなくなる」という、経験から導かれた常識をときどき耳にします。論文に対する眼力は、自らの論文にも向けられる。ああ、そういうことなんだな、と、生意気に思ってしまいました。私は書くことをやめませんが。私のやっているテーマは、私しかできない。そう思っていますから。
なんてね。
今日はもう帰ろうかと思っていた際、自分で書いた昔の論文を急に読み始めました。その際、最近従来とは比べ物にならないほど多様な理論・枠組を勉強してきて(従来が貧弱だったともいう)視野が広がったせいか、今までの論文が底の浅いものだなぁと実感してしまいました。なるほど、深い知識、広い視野に触れるということは、論文に対する眼力も育てるのだなあ。私なんかはまだまだヒヨッコですが、それでも昔の自分の論文が底の浅いものであることがわかることに、充実感だか、悲しいんだかよくわからない感情がわいてきます。
「できる人ほど論文が書けなくなる」という、経験から導かれた常識をときどき耳にします。論文に対する眼力は、自らの論文にも向けられる。ああ、そういうことなんだな、と、生意気に思ってしまいました。私は書くことをやめませんが。私のやっているテーマは、私しかできない。そう思っていますから。
なんてね。