ダイバーシティ(diversity、多様性)とは、集団内の個人が表層・深層的に異なる状態をさす。人間は、性別、年齢、人種等の表層的な違いや、深層面では性格、考え方、習慣、履歴等の深層的な違いをもつ。集団内でこれらの個人の違いが尊重され、各個人も集団への所属感や参加感をもっている状態をインクルージョン(inclusion、包摂・包括)という。教育分野だとインクルージョンは障害の問題と考えられることが多いが、それには限らない。
ダイバーシティとインクルージョンは現在の社会目標の一つである。日本では、例えば、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法、障害者雇用促進法、高齢者雇用安定法などによって、不利益を被る者に対する特別措置が法制化されている。また、国際社会ではSDGsの5(ジェンダー)や8(成長・雇用)、10(不平等)等に関わって目標化されている。教育においては、まず、学校教育や生涯学習の教職員、指導者、補助者、協力者、児童、生徒、学生、学習者等によって構成される集団において直接的に目指されるべき目標である。また、教育は人間形成・人材育成にかかわる営みであるので、諸集団におけるダイバーシティ・インクルージョンの実現に必要な価値観や態度、知識・技能等の育成に関わる。SDGsの4(教育)が直接的にこのことを目標化している。つまり、ダイバーシティ・インクルージョンは、国内・国際的な課題であり、教育の組織づくりや教育目的・目標・内容・課程の改革において取り入れるべき観点となっている。したがって、現在の教育学は、ダイバーシティ・インクルージョンの視点から教育や生涯学習の組織づくりや目的・目標・内容・課程の見直しを進めるための課題を見出し、必要な研究を進めることが求められる。
現在の日本のダイバーシティ・インクルージョン問題について研究するとき、ダイバーシティやインクルージョンを構成する諸要素の歴史的課題を踏まえなければ、有効な議論をすることはできないであろう。日本社会のダイバーシティ・インクルージョンには様々な課題があり、日本独特の文化的・習慣的な課題をかかえるものも多い。文化的・習慣的な課題は長い間かけて歴史の中で構築されてきたものであり、歴史的課題の側面をもつ。歴史的課題を確実に捉え、適切に分析するための歴史研究がどうしても必要である。教育学についていえば、ダイバーシティ・インクルージョンの視点からの教育史研究が必要である。
教育学としての日本教育史研究は、ダイバーシティ・インクルージョンの観点からどのような課題を見出すべきだろうか。現代に直接生かせる教訓やアイディアを歴史に求めることもできるかもしれないが、それ以上に重要なことは、ダイバーシティ・インクルージョンの観点から見たとき、過去の日本の教育がどうだったか、現在の日本の教育に至る経緯を明らかにして、直接的・間接的な関係する歴史的課題を発見・分析することである。基本的には、様々な教育の組織づくり(学校経営・学級経営・集団づくりなど)や、目的・目標・内容・課程等において、児童生徒学生や学習者、教職員、補助・協力者等の性別、年齢、人種、障害、性格、考え方、習慣、履歴等がどのように考慮され、計画化・組織化されてきたかが問題になるだろう。「ダイバーシティ」・「インクルージョン」という概念は新しいものなので、これらの概念を直接的に用いて歴史に問うのは慎重にした方がよい。これらの概念で直接的に問えるのは、おそらく1980年代以降を対象とした現代教育史に限定されるだろう。今後、教育社会学や教育方法学、教育行財政学、教育経営学等の教育学諸領域において、そのような現代教育史的な研究が進むことが期待される。
「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の概念の提唱以前を対象とする場合、これらの概念を直接用いない方がより正確に歴史を捉えることが可能になる。例えば、ダイバーシティ・インクルージョンの問題の諸要素に注目すると、それぞれが長い歴史をもっていることに気づくことができる。日本の教育における性別・ジェンダー問題や、障害の扱い、国民教育と民族教育の関係、教室・学校における多様な子どもの存在等については、それぞれが独特の歴史をもっている。そこには歴史的につくられた課題があることがわかっているものもあるし、そのほかにまだ明らかになっていない歴史的課題が潜んでいる可能性も十分にある。関係するテーマとして思いつくものを列挙すると、例えば、学校種や教育課程、教科書、生活・生徒指導における性別や障害、外国人、民族の扱い方、障害児に対する就学義務の猶予・免除制度、障害児・健常児との分離教育または統合教育の展開、義務教育の対象児童生徒の範囲、琉球・アイヌ・植民地出身児童生徒の公教育への排除と包摂、戦後の(旧)植民地出身児童生徒の公立学校就学や外国人学校における民族教育の変遷、貧困家庭出身や被差別部落出身の児童生徒に対する教育や教育制度全体に対するその影響、低学力または高学力の児童生徒に関する能力別学級編制などがある。これらのテーマに関する先行研究は、必ずしもすべてがダイバーシティ・インクルージョンの視点から研究されてきたわけではないが、改めて見直すべき研究成果が多数存在するのではないか。
日本留学の歴史の研究も、他国・他人種・他民族の留学生が日本で学んできた歴史であり、何のために留学し(または誰が何のために留学させ)、どのように学び(学ばせ)、日本や帰国後の社会において異なる知識文化や考え方をもっていかに生き、何をもたらしたかを明らかにする中で、いかなる歴史的課題をかかえてきたかを探究することが可能かもしれない。学校・学級経営の歴史の研究も、集団づくりにおいて性別をいかに活用し、または様々な性格、考え方、習慣をもつ児童生徒をいかに包摂/排除して、管理・訓育・統合しようとしてきたかを明らかにすることを通して、学校・学級の多様性に関わる歴史的課題を探究することを可能かもしれない。これらは、日本の近代教育の良し悪しを探究するような先行研究の多いテーマであるが、改めてダイバーシティ・インクルージョンの視点から課題設定し直すことで、新たな研究成果につながることもあり得る。
ダイバーシティ・インクルージョンの観点からの研究は、授業や教育課程、思想・学説、学校だけでなく、学級集団づくりや多様な職種を含めた教職員集団の文化や組織経営、社会教育、子育て、家庭教育に至るまで、過去の教育現象を広く捉え、その課題を明瞭に分析する視点・研究方法が必要である。日本教育史研究の立場からいえば、どんな史料をどのように分析・解釈するかが喫緊の課題になる。適切な史料やその取扱い方はテーマや視点によって異なるだろう。
ダイバーシティ・インクルージョンを目指す日本社会において、教育学・日本教育史の研究によって明らかにされるべき歴史的課題は少なくないと思われる。教育学はダイバーシティ・インクルージョンをどのように捉え、何を課題化すべきか。日本教育史は他領域との競合・協働の中でダイバーシティ・インクルージョンの視点による研究をいかに進めるか。今後、具体的なテーマや視点、史料に沿って考察していく必要がある。
<参考資料>
・広島大学ダイバーシティ研究センター「第14章 多様性とジェンダー」(大学教育入門テキスト)、2017年。
・坂田桐子・河口和也・高松里・北梶陽子「ダイバーシティを考える―研究と実践の可能性」(日本発達心理学会第28回大会一般公開シンポジウム記録)、2017年。
ダイバーシティとインクルージョンは現在の社会目標の一つである。日本では、例えば、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法、障害者雇用促進法、高齢者雇用安定法などによって、不利益を被る者に対する特別措置が法制化されている。また、国際社会ではSDGsの5(ジェンダー)や8(成長・雇用)、10(不平等)等に関わって目標化されている。教育においては、まず、学校教育や生涯学習の教職員、指導者、補助者、協力者、児童、生徒、学生、学習者等によって構成される集団において直接的に目指されるべき目標である。また、教育は人間形成・人材育成にかかわる営みであるので、諸集団におけるダイバーシティ・インクルージョンの実現に必要な価値観や態度、知識・技能等の育成に関わる。SDGsの4(教育)が直接的にこのことを目標化している。つまり、ダイバーシティ・インクルージョンは、国内・国際的な課題であり、教育の組織づくりや教育目的・目標・内容・課程の改革において取り入れるべき観点となっている。したがって、現在の教育学は、ダイバーシティ・インクルージョンの視点から教育や生涯学習の組織づくりや目的・目標・内容・課程の見直しを進めるための課題を見出し、必要な研究を進めることが求められる。
現在の日本のダイバーシティ・インクルージョン問題について研究するとき、ダイバーシティやインクルージョンを構成する諸要素の歴史的課題を踏まえなければ、有効な議論をすることはできないであろう。日本社会のダイバーシティ・インクルージョンには様々な課題があり、日本独特の文化的・習慣的な課題をかかえるものも多い。文化的・習慣的な課題は長い間かけて歴史の中で構築されてきたものであり、歴史的課題の側面をもつ。歴史的課題を確実に捉え、適切に分析するための歴史研究がどうしても必要である。教育学についていえば、ダイバーシティ・インクルージョンの視点からの教育史研究が必要である。
教育学としての日本教育史研究は、ダイバーシティ・インクルージョンの観点からどのような課題を見出すべきだろうか。現代に直接生かせる教訓やアイディアを歴史に求めることもできるかもしれないが、それ以上に重要なことは、ダイバーシティ・インクルージョンの観点から見たとき、過去の日本の教育がどうだったか、現在の日本の教育に至る経緯を明らかにして、直接的・間接的な関係する歴史的課題を発見・分析することである。基本的には、様々な教育の組織づくり(学校経営・学級経営・集団づくりなど)や、目的・目標・内容・課程等において、児童生徒学生や学習者、教職員、補助・協力者等の性別、年齢、人種、障害、性格、考え方、習慣、履歴等がどのように考慮され、計画化・組織化されてきたかが問題になるだろう。「ダイバーシティ」・「インクルージョン」という概念は新しいものなので、これらの概念を直接的に用いて歴史に問うのは慎重にした方がよい。これらの概念で直接的に問えるのは、おそらく1980年代以降を対象とした現代教育史に限定されるだろう。今後、教育社会学や教育方法学、教育行財政学、教育経営学等の教育学諸領域において、そのような現代教育史的な研究が進むことが期待される。
「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の概念の提唱以前を対象とする場合、これらの概念を直接用いない方がより正確に歴史を捉えることが可能になる。例えば、ダイバーシティ・インクルージョンの問題の諸要素に注目すると、それぞれが長い歴史をもっていることに気づくことができる。日本の教育における性別・ジェンダー問題や、障害の扱い、国民教育と民族教育の関係、教室・学校における多様な子どもの存在等については、それぞれが独特の歴史をもっている。そこには歴史的につくられた課題があることがわかっているものもあるし、そのほかにまだ明らかになっていない歴史的課題が潜んでいる可能性も十分にある。関係するテーマとして思いつくものを列挙すると、例えば、学校種や教育課程、教科書、生活・生徒指導における性別や障害、外国人、民族の扱い方、障害児に対する就学義務の猶予・免除制度、障害児・健常児との分離教育または統合教育の展開、義務教育の対象児童生徒の範囲、琉球・アイヌ・植民地出身児童生徒の公教育への排除と包摂、戦後の(旧)植民地出身児童生徒の公立学校就学や外国人学校における民族教育の変遷、貧困家庭出身や被差別部落出身の児童生徒に対する教育や教育制度全体に対するその影響、低学力または高学力の児童生徒に関する能力別学級編制などがある。これらのテーマに関する先行研究は、必ずしもすべてがダイバーシティ・インクルージョンの視点から研究されてきたわけではないが、改めて見直すべき研究成果が多数存在するのではないか。
日本留学の歴史の研究も、他国・他人種・他民族の留学生が日本で学んできた歴史であり、何のために留学し(または誰が何のために留学させ)、どのように学び(学ばせ)、日本や帰国後の社会において異なる知識文化や考え方をもっていかに生き、何をもたらしたかを明らかにする中で、いかなる歴史的課題をかかえてきたかを探究することが可能かもしれない。学校・学級経営の歴史の研究も、集団づくりにおいて性別をいかに活用し、または様々な性格、考え方、習慣をもつ児童生徒をいかに包摂/排除して、管理・訓育・統合しようとしてきたかを明らかにすることを通して、学校・学級の多様性に関わる歴史的課題を探究することを可能かもしれない。これらは、日本の近代教育の良し悪しを探究するような先行研究の多いテーマであるが、改めてダイバーシティ・インクルージョンの視点から課題設定し直すことで、新たな研究成果につながることもあり得る。
ダイバーシティ・インクルージョンの観点からの研究は、授業や教育課程、思想・学説、学校だけでなく、学級集団づくりや多様な職種を含めた教職員集団の文化や組織経営、社会教育、子育て、家庭教育に至るまで、過去の教育現象を広く捉え、その課題を明瞭に分析する視点・研究方法が必要である。日本教育史研究の立場からいえば、どんな史料をどのように分析・解釈するかが喫緊の課題になる。適切な史料やその取扱い方はテーマや視点によって異なるだろう。
ダイバーシティ・インクルージョンを目指す日本社会において、教育学・日本教育史の研究によって明らかにされるべき歴史的課題は少なくないと思われる。教育学はダイバーシティ・インクルージョンをどのように捉え、何を課題化すべきか。日本教育史は他領域との競合・協働の中でダイバーシティ・インクルージョンの視点による研究をいかに進めるか。今後、具体的なテーマや視点、史料に沿って考察していく必要がある。
<参考資料>
・広島大学ダイバーシティ研究センター「第14章 多様性とジェンダー」(大学教育入門テキスト)、2017年。
・坂田桐子・河口和也・高松里・北梶陽子「ダイバーシティを考える―研究と実践の可能性」(日本発達心理学会第28回大会一般公開シンポジウム記録)、2017年。
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