教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

高大接続答申後の教職課程担当教員がおかれている状況

2015年03月05日 20時05分01秒 | 教育研究メモ

 学内研修会の予習のため、中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(2014年12月22日答申)を熟読していたのですが(授業でも使おうと思って)、その中に以下のような一節がありました。

 これからの高等学校教員には、課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学びを重視した教育を展開するとともに、生徒の多様な学習成果や活動を適切に評価することなどにより、これからの時代に必要な資質・能力を身に付けさせ、生徒一人ひとりの可能性を伸ばしていく観点から指導を行う力量が求められる。そのために、きめ細かな指導体制の充実を図るとともに、開放制の原則の中でもこうした力が付くよう、教員の資質・能力の向上に向け、教職課程を改善し、研修・採用等の方法を整備する。

 とまあ、こんな風に書いてあります。この答申は、センター試験廃止の提言ばかりがクローズアップされていますが、そもそもは大学・高校教育の質的転換(改良・改善どころではない)を目指すものです。入試を変えるだけではなく、教育課程全体を変えることが本来のねらいです。そのことを考えると、引用部分を読んで、まず「あ、そりゃそうか」と納得し、次に「こりゃいよいよ大変なことになってきたぞ」と焦ってきます。

 答申のいうような高校教育を実現しようとすれば、高校教員が大きく変わらなければなりません。そのためには、高校教員養成の教職課程も大きく変わらなければなりません。この動きは、小中学校教育の改革と連動しているので、すべての教員が変わらなければなりません。そうなれば、当然、養成に携わる教職課程担当教員も、それに合わせて大きく変わらなければなりません。われわれ教職課程教員は、課題発見・解決型の授業をできるでしょうか。これからの時代に必要な資質能力を身に付けさせるような、主体的・協働的学びを提供していけるでしょうか。多様な学習成果を適切に評価することができるでしょうか。まあ、今までもそういう教育はやってきたし、これからもやるしかないし、そもそもやりたいし、頑張ります。
 ここのところ中教審の動きは、明らかに新学制の構想と連動しています。新学制がどのような形になるかわかりませんが、6・3・3制に替わる学制に応じた資質能力を有する学校教員を養成する必要性が、急激に高まっているように感じます。ここ一連の動きは、教職課程教員に大きな課題を突き付けています。新学制が実施されて再教育的な研修が必要になった時、引き続き大学が教員研修の一端を担うならば、まずもって研修に奔走しないといけないのは教職課程教員です。また、教員採用試験が替わるならば、それも無関係ではありません。
 考えなければいけないことが多すぎるなあ! 今のうちに少しずつでも学び、考えていかなければいけませんね。

 日本には、学制改革にともなう教員再教育が何度も行われてきました。大きいものでは、明治5(1872)年の学制公布、明治40(1907)年の第四次小学校令公布(これを入れるならほかにもあるかも)、昭和23(1948)年の教育基本法・学校教育法公布の時のもの。学習指導要領改定のたびの研修もそうでしょうね。われわれはこれらの歴史から、何か学ぶべきことはないかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする