教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

オンライン学習さえあれば学校は必要ないか?―これからの学校を展望する前に

2020年08月19日 21時13分00秒 | 教育研究メモ
 オンライン学習が普及すれば、学校に行かなくても授業を受けられるし、いつでもどこでも著名人や名人の授業を受けることができる。では、オンライン学習さえあれば、学校は不要なのだろうか。
  オンライン学習には、深刻な課題が存在する。オンライン学習の普及は、家庭の経済格差や文化格差による教育格差をいっそう広げる可能性があるからである。ICT機器などの購入やWi-Fi環境などの設置ができるかどうかは、無償貸与などの公的な仕組みを整えることによって解消できるので、国や社会の覚悟さえあればそれほど深刻な問題ではない。問題は、家庭環境やその環境によって身に付いてきた学習習慣の差にある。家庭でオンライン教育を受けるには、授業に集中できる環境が必要である。例えば、親が昼間から酒を飲んで大声でしゃべっているような環境で授業を受けていては、とても学習にはならないし、何より苦痛であろう。また、調べ学習を進めようとしたとき、家にいっさい本や資料がない家庭や、親や兄弟が相談相手になってくれない家庭では限界がある。さらに、苦しいときにも継続して学習に取り組もうとする粘り強さや、学習がうまくいかない時に別の方法を試そうとするような柔軟性など、学習習慣は家庭環境のなかで育つところが大きい。オンライン学習は、受講を後回しにしたり、受講しても寝てしまったり、勝手に退席したりしても誰も注意してくれない。そのため、学習習慣が身に付いていない人がオンラインだけで学び続けていくのは簡単なことではない。オンライン学習が普及したとしても、学習に集中できる空間や必要な教材・資料を提供したり、対話のできる他者との出会いを保障する協働的な場や機会を設けたり、さぼりたくなったり苦しかったりするときに支え励ましてくれるスタッフや友人・同級生がいたりする必要がある。このような学習環境は、苦しい家庭の人々はもちろん、そうでない家庭の人々にも必要である。オンライン学習の普及する未来において、そのような形であれば学校は存在意義をもつことができる。
 これまでよく見られたような暗記・再生中心の学習、替えの効く人材を育てようとする画一一斉講義中心の学校は、これから存在意義を急激に失っていく。そのような学習・授業をわざわざ一所に集まって、直接対面でする必要はないからである。これからの学校は根本的に変わらなければならない。
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