後期の授業準備のため、時間をつくってテキストを再編集しています。いくらか加筆しなければならないところもあるのですが、それをちょっとだけ公開してみましょう。
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道徳授業を計画するときに、『学習指導要領解説』第3章第2節中における「価値内容の概要」は便利である。「価値内容の概要」には指導観や授業展開のヒントがちりばめられている。「正直、誠実」を主題とする道徳授業では、たとえば小学校低学年では「うそをついたりごまかしをしたりしないで、素直にのびのびと生活すること」を目指すことになる。「正直」を常識のみから考えてみると、嘘を言わないで自分自身の考えていることを素直に述べることと解釈することもできる。しかし、そのような解釈は、おそらく子ども達もすでにわかっていることである。また、「のびのびと生活すること」を目指すとはどういうことか。抽象的すぎて授業の展開に生かせる主題・目標を導くことはできない。「正直、誠実」の授業はいったい何をすればよいか迷うばかりである。
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道徳授業を計画するときに、『学習指導要領解説』第3章第2節中における「価値内容の概要」は便利である。「価値内容の概要」には指導観や授業展開のヒントがちりばめられている。「正直、誠実」を主題とする道徳授業では、たとえば小学校低学年では「うそをついたりごまかしをしたりしないで、素直にのびのびと生活すること」を目指すことになる。「正直」を常識のみから考えてみると、嘘を言わないで自分自身の考えていることを素直に述べることと解釈することもできる。しかし、そのような解釈は、おそらく子ども達もすでにわかっていることである。また、「のびのびと生活すること」を目指すとはどういうことか。抽象的すぎて授業の展開に生かせる主題・目標を導くことはできない。「正直、誠実」の授業はいったい何をすればよいか迷うばかりである。
そこで見ておきたいのが、『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編』である。『解説』の「正直、誠実」の頁(30頁)を見ると、以下のように述べられている。
つまり、「正直な心」や「のびのびと生活すること」とは、過ちや失敗に対して、うそやごまかしをしようとしてしまう心や態度を乗り越えようとすることである。そう解釈すると、小学校低学年の「正直、誠実」の授業は、過ちや失敗は誰でも起こりうるということや、うそやごまかしをしようとしてしまう心を誰でも持っていることを確認し、そういう心をどのようにすれば乗り越えることができるかについて考え、話し合うことが必要になる。そうだとすれば、そのための授業展開を工夫しなければならない。
過ちや失敗は誰にも起こり得ることである。そのときに,ともするとそのことで自分自身が責められたり,不利な立場に立たされたりすることを回避しようとしてうそを言ったり,ごまかしをしたりすることがある。しかし,そのような振る舞いはあくまでも一時しのぎに過ぎず,真の解決には至らない。このことによって,他者の信頼を失うばかりか,自分自身の中に後悔や自責の念,強い良心の呵か責しゃくなどが生じる。
それらを乗り越えようとすることが正直な心であり,自分自身に対する真面目さであり,伸び伸びと過ごそうとする心のすがすがしい明るさでもある。このような誠実な生き方を大切にする心を育てていくことが重要である。 [下線白石]
それらを乗り越えようとすることが正直な心であり,自分自身に対する真面目さであり,伸び伸びと過ごそうとする心のすがすがしい明るさでもある。このような誠実な生き方を大切にする心を育てていくことが重要である。 [下線白石]
つまり、「正直な心」や「のびのびと生活すること」とは、過ちや失敗に対して、うそやごまかしをしようとしてしまう心や態度を乗り越えようとすることである。そう解釈すると、小学校低学年の「正直、誠実」の授業は、過ちや失敗は誰でも起こりうるということや、うそやごまかしをしようとしてしまう心を誰でも持っていることを確認し、そういう心をどのようにすれば乗り越えることができるかについて考え、話し合うことが必要になる。そうだとすれば、そのための授業展開を工夫しなければならない。
この例だけでも、価値理解が授業展開に大きな影響を与えることがよくわかるだろう。なお、発達が進めば進むほど、うそやごまかしをめぐる葛藤は深刻になる。学年ごとに教材や授業展開を変えていくことになる。