今日は久しぶりに起床失敗。昼過ぎに徒歩で登校。
今日も登校後は、論文(3)と(4)の修正。外で論文(4)の読み直しをしていると、I先輩がお茶をおごってくれました。しばらく話していると、遠くで雷鳴と閃光。論文の読み直しは途中でしたが、また大雨に降られるとイヤなので、研究室へ避難。研究室で論文(4)をワープロ打ち。続いて論文(3)を直す。今日の論文(3)の修正は、今まで論文(3)を修正した中で一番内容に関わる修正でした。元の論文(3)より、よくなった気がする。
論文2つを直した結果、まだ外は明るい。今日はスタートが遅かったし、もう少しやろうと思い、中内敏夫『新しい教育史』(改訂増補版、新評論、1992年)の第1章を読む。今や教育史研究のあちこちで吹聴されている社会史は、そもそものところどういう理論的問題を抱えているか、という内容が書かれています。その根っこにあるのは、史的人口動態論だそうです。
中内著を読んでいて、論文(4)を少し書き足したくなったので、さらに論文(4)を書き直す。直接関係ある内容が書いてあったわけではありませんが、論文(4)は非常にまとめに苦労していましたので、中内著の論述の仕方に刺激をうけたわけです。中内氏は教育学の大家ですから、私のような駆け出しよりも、はるかに論理の整理と事実の一般化を見事にやっています。やっぱり、資料にあたっていく研究も大事だけど、大家の著作も読むことも大事だな、と思いました。
思った以上に修正に苦労しましたが… お、さらによくなったぞ。
今日も登校後は、論文(3)と(4)の修正。外で論文(4)の読み直しをしていると、I先輩がお茶をおごってくれました。しばらく話していると、遠くで雷鳴と閃光。論文の読み直しは途中でしたが、また大雨に降られるとイヤなので、研究室へ避難。研究室で論文(4)をワープロ打ち。続いて論文(3)を直す。今日の論文(3)の修正は、今まで論文(3)を修正した中で一番内容に関わる修正でした。元の論文(3)より、よくなった気がする。
論文2つを直した結果、まだ外は明るい。今日はスタートが遅かったし、もう少しやろうと思い、中内敏夫『新しい教育史』(改訂増補版、新評論、1992年)の第1章を読む。今や教育史研究のあちこちで吹聴されている社会史は、そもそものところどういう理論的問題を抱えているか、という内容が書かれています。その根っこにあるのは、史的人口動態論だそうです。
中内著を読んでいて、論文(4)を少し書き足したくなったので、さらに論文(4)を書き直す。直接関係ある内容が書いてあったわけではありませんが、論文(4)は非常にまとめに苦労していましたので、中内著の論述の仕方に刺激をうけたわけです。中内氏は教育学の大家ですから、私のような駆け出しよりも、はるかに論理の整理と事実の一般化を見事にやっています。やっぱり、資料にあたっていく研究も大事だけど、大家の著作も読むことも大事だな、と思いました。
思った以上に修正に苦労しましたが… お、さらによくなったぞ。
白石さんの論文もきっと、教育に対する熱い思いと造詣の深さが文面から読み取れるものになる事でしょう!
(本文下から2段目、直しました)
読者に感銘を与える文章が書けるようになるには、あと20年・30年はかかるでしょうが、いつかはそういう文を書いてみたいですね。
学者は言葉が命なのに、まだまだだなぁ…(^_^;)