教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

大家の論理と一般化に学ぶ

2006年08月25日 21時49分07秒 | Weblog
 今日は久しぶりに起床失敗。昼過ぎに徒歩で登校。
 今日も登校後は、論文(3)と(4)の修正。外で論文(4)の読み直しをしていると、I先輩がお茶をおごってくれました。しばらく話していると、遠くで雷鳴と閃光。論文の読み直しは途中でしたが、また大雨に降られるとイヤなので、研究室へ避難。研究室で論文(4)をワープロ打ち。続いて論文(3)を直す。今日の論文(3)の修正は、今まで論文(3)を修正した中で一番内容に関わる修正でした。元の論文(3)より、よくなった気がする。
 論文2つを直した結果、まだ外は明るい。今日はスタートが遅かったし、もう少しやろうと思い、中内敏夫『新しい教育史』(改訂増補版、新評論、1992年)の第1章を読む。今や教育史研究のあちこちで吹聴されている社会史は、そもそものところどういう理論的問題を抱えているか、という内容が書かれています。その根っこにあるのは、史的人口動態論だそうです。
 中内著を読んでいて、論文(4)を少し書き足したくなったので、さらに論文(4)を書き直す。直接関係ある内容が書いてあったわけではありませんが、論文(4)は非常にまとめに苦労していましたので、中内著の論述の仕方に刺激をうけたわけです。中内氏は教育学の大家ですから、私のような駆け出しよりも、はるかに論理の整理と事実の一般化を見事にやっています。やっぱり、資料にあたっていく研究も大事だけど、大家の著作も読むことも大事だな、と思いました。
 思った以上に修正に苦労しましたが… お、さらによくなったぞ。
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5 コメント

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先人の著書 (kissmint)
2006-08-26 15:17:31
 う~む。先人の著書ですか・・・。私は専ら、文学・歴史・推理小説位しか読んでいませんので、先人は数が限られています。でも以前に読んだ中ではやはり、日本では三島由紀夫、外国ではドストエフスキーでしょうか、最も感銘を受けたのは。しかも彼らが書いた内容もさる事ながら、その文体から醸し出される常人以上の筆力と芸術性に、非常に感銘を受けたました。

 白石さんの論文もきっと、教育に対する熱い思いと造詣の深さが文面から読み取れるものになる事でしょう!
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ちょっとお詫び (白石)
2006-08-26 15:44:25
 とと…、中内先生はまだ生きておられると思うので(お会いしたことはないのですが…)、「先人」呼ばわりはだいぶまずいかも… 「私よりもずっと先を行っている大先輩」ぐらいの意味です。もし誤解があったらすみません。

 (本文下から2段目、直しました)
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気を取り直して (白石)
2006-08-26 15:48:00
 でも、先人の著書には、よく感銘を受けることは間違いありません。私が日本教育史を専攻しようと確信したのも、沢柳政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865~1927)という教育学者の代表作、『教育者ノ精神』『教師及校長論』『実際的教育学』(いずれも100年くらい前の著作)に触れたからでした。沢柳については、最近新しく伝記が出ましたのでそちらを参照くだされ(新田義之『澤柳政太郎-随時随所楽シマザルナシ』ミネルヴァ書房、2006年、¥3,150)。

 読者に感銘を与える文章が書けるようになるには、あと20年・30年はかかるでしょうが、いつかはそういう文を書いてみたいですね。

  
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中内先生 (kissmint)
2006-08-26 15:52:45
 そうでしたか・・・。完全に誤解していました(^^; 中内先生、大変申し訳ございませんm(__)m
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m(__)m (白石)
2006-08-27 17:56:43
私が不正確な言葉を使ったばっかりに、Kissmintさんに誤解させてしまいました。中内先生にも失礼を…すみませんm(__)m

学者は言葉が命なのに、まだまだだなぁ…(^_^;)
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