教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育を関係として認識してみる

2021年01月02日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育とは何か。ここでは、因果関係・能動受動関係をもつ事実としての側面と、その言葉に付随する感情的反応に注目して論じる。
 教育とは、教育者と学習者との知的・感情的関係である。教育者(教育の主体)が被教育者(教育の客体)に関わり、知識や技術、価値観などを様々な手段で伝える。それを、被教育者が受け止め、学習し、自らの知識や技術、価値観などとする。被教育者は学習の主体でもある。教育において、被教育者は受動的立場にあるが、学習者としては能動的立場にある。
 教育者と被教育者との関係は、教育者が他者に対して教育したいという欲求、および学習者が教育者から学習したいという欲求によって成立する。また、学習者が、以前に比べて、その保持する知識や技術、価値観などを変容させることで成立する。教育は、教育者の教育欲求と学習者の学習欲求を原因として、学習者の学習を結果とする人間関係の一つである。
 また、教育は、以上のような現象・事実を指すとともに、一定の感情的反応を付随する言葉である。例えば、教育によって学ぶ楽しみを味わったり、何らかの利益を得たりした者には、肯定的な感情を引き起こす。逆に、教育によって学ぶ苦しみばかりを味わったり、自我を抑えつけられたりした者にとっては、否定的な感情を引き起こす。これらの反応は、個人だけでなく、集団・社会においても起こる。集団・社会における教育に対する反応は、輿論(言説)や世論となって集団・社会の文化や教育制度を動かす力となる。教育は、個人や集団・社会の感情的反応を引き起こし、その制度や文化、構造を動かす、教育者と学習者との人間関係である。したがって、教育とは、単に知識や技術、価値観などの個人的で即時的な学習では終わらない。学習の経験やそれに付随して感じ、感じ続ける感情によって、その後学習者がたどる人生の過程に影響し、その所属する集団・社会の行く末やあり方に影響する。
 以上のように、教育とは、個人・集団社会のあり方に継続的に影響する人間関係の一つである。教育を認識するには、教育の目的や内容、方法を明らかにする必要があると一般的には考えられるが、これらは時代や文化によって多様である。そのため、これらを明らかにするだけでは教育の原理を認識することはできない(帰納だけでは原理の認識はできない)。教育をより原理的に認識するには、被教育者=学習者における受動的かつ能動的立場という二面性と、原因としての教育者・被教育者の欲求、学習者の学習という結果、そして教育という言葉に個人や集団・社会が抱く感情的反応を捉えなければならない。これらの視点によって教育を認識する学問は、教育学である。
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