教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団

2011年12月23日 21時00分44秒 | 教育研究メモ

 この間、発行された中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号(2011年)に、拙稿「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」が掲載されました。このたびの拙稿の論文構成は以下の通り。

  はじめに
1.鳥取県倉吉の小学校教員の特徴
 (1) 全国から見た鳥取県の小学校教員
 (2) 鳥取県から見た東伯郡倉吉の小学校教員数の特徴
2.東伯私立教育会における教員集団の衝突・分離
 (1) 東伯私立教育会の活動
 (2) 東伯郡における多様な小学校教員集団
 (3) 東伯私立教育会に対する解散要求の高まり
 (4) 東伯私立教育会の解散―「師範卒」への対抗意識の顕在化
3.教員集団の合流・変容
 (1) 私立東伯教育会の結成と解散派・非解散派の合流
 (2) 師範卒教員に対する対抗意識の収拾
 (3) 師範卒教員のねらい―自己を高める教師を求めて
 (4) 教育研究活動の促進
  おわりに

 地方の教員たちが、日清戦争後、自らを高めるために教員集団の変革に向けて見せた具体的な動きが、明確にわかる研究になりました。稲垣忠彦氏の研究で、明治30年代以降、教員たちが校内研修や研究会を頻繁に開くようになったことは明らかになっていましたが、そのスタート地点とも言えるような事実が明らかにすることができました。師範卒教員たちの動きや、それに対する負の感情、地域の対立、年長教員に対する若手教員の不満、激変する時代に対する使命感など、当時の教員たちのリアルな世界のなかで、教師たちが自分たちで自分たちの道を切り開こうとしていた様が、少し見えてきたと思います。
 この研究は、今風に言えば、「教職生活全体を通じた資質向上」という問題につながる研究だと思っています。明治10年代・20年代の研究を続けてきた私としては、もともとこの「教職生活全体を通じた資質向上」というのは、教師たちが明治以来はぐくんできた教職文化の一つだと思っています。養成段階や公的な現職研修だけで、教師は育ってきたのではないわけです。「教職生活全体を通じた資質向上」という文化は、近年ようやく、教育学や教育政策のなかで正当に位置づけられる局面を迎えていると思います。その位置づけに、一役買えたら幸いです。

 このところ(というより今年はずっと)、心のエンジンがなかなかかかりません。本来はもう少し説明したいと思っていて、記事にしなかったのですが、そうこうするうちに活字化から何週間も経ってしまいました。
 待遇改善要求や数字だけではない教員史、教員統制策の対象としてだけではない教員の主体性や向上心に関わる教員史が少し見えてきました。興味がありましたら、読んでいただけると幸いです。

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