教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

「思考の跡」としてのノート

2015年01月30日 21時05分24秒 | 教育研究メモ

 うむ、こりゃ大変だ。

 年度末ですね。授業のまとめのために、学生から最後の課題を提出させました。4学科3学年から集めた5科目分の提出物です。これまではレポートを求めることが多かったのですが、今回は3科目でノートを提出させたので、かなりかさばることに。ノートのほかは、レポートと保育案です。
 今回、ノートを評価対象にしたのは、アクティブラーニング(能動的学習法)を試したためです。各回に発表担当グループを設定し、テキストの当該箇所を中心にレジュメを切って発表させ、そのあとに私がコーディネーターになって質疑応答によって授業を展開する、という授業形態を3科目で実施しました。この形態で授業すると、学生が発表グループの作ったレジュメで満足してしまってノートを作らないのではないかと思い、ノートで評価すれば頑張って作るのではないかと考えたわけです(評価項目も考えて初回に提示しています)。ノートは、「思考の跡」であり、「外付けハードディスク」であると思っています。講義中心の授業ノートだと、たいてい私が書いた板書の写しですので、見ても個人差はほとんどないのですが、今回は違うのではないかと期待しています。さあ、どれだけの「思考の跡」が記されているかな。
 まだ集めたばっかりでちゃんと見ていませんが、私の予想以上に頑張って作ったノートもたくさんありそうです(省エネで作ったノートもちらほら見えますが)。量だけみても、大学の1科目のノートが2冊になったのなんて私は見たことないのですが、2冊組になっているノートがいくらかあります。学生の頑張りが見えてきて、私も頑張ってチェックしなきゃと思いました。学生のノートに圧倒されたのは、初めての経験です。

 さあ、これから10日ほどですべてを評価し終えなければ。ほかにもいろんなものの締切りが待ってるし、がんばろう。

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