教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

現代的意義の歴史性・社会性

2005年12月16日 20時52分18秒 | 教育研究メモ
 今日の寝起き(笑)は、ぼちぼちでした。昨日やりのこしたことをざざっとやってしまって、昼前に学校へ。比較的早い方なのですが、今日は博士課程前期(修士)1年生による博士論文前期論文(修士論文)の構想発表会なので、そちらへ顔をだしました。
 全部は聞いてませんが、発表者16人中7人(うち2人は途中から)の構想発表を聞きました。日本教育史研究室には修士1年生はいないので、私とは異なった専門分野の論文構想発表を聴いたわけです。感想をば少し。同じ専門分野であっても、当然各人それぞれ問題意識も違い、研究志向も違います。大きく把握すると、発表を聴いた人たちは、政策・思想・学説などを対象にしています。政策・思想・学説などいずれも人間が作り上げるものであって、必ず歴史性(時間軸)・社会性(空間軸)をもちます。ですから、その政策・思想・学説が作りだされた当時の歴史的・社会的背景から、切り離して考えることはできません。発表の中には、現代的意義を求めるがあまり、この問題を置き去りにしようとしたものもありました。私もそのようなことを言っていた時期もあったので、その気持ちは私にも痛いほどわかります(苦笑)。でも、現代も、連綿と続く歴史と複雑に絡み合う社会の上に成り立っているわけですから、現代的意義ですら歴史的・社会的なものであるともいえると思います。政策だけ・思想だけ・学説だけの分析では研究者の「好み」の問題にしかなりえないと思います。現代的意義を見いだすには、歴史的・社会的な分析が必要なのではないでしょうか。
 今日の論文は2本。まず、稲垣忠彦『増補版 明治教授理論史研究』(評論社、1995年(初版1966年))の第一章「明治十年代における教授実践の状況」を読みました。明治14(1881)年の小学校教則綱領の公布を境に文部省官僚の教則(教科・教育内容)観が一転したこと、明治十年代には地方における教育実態の巡視を通して教授法や学校・学級形態の改良に文部省官僚たちが関心を示したことが明らかにされています。
 二本目。中山茂『歴史としての学問』(中央公論社、1974年)の第三章「紙・印刷と学問的伝統」を読みました。西洋の学問と中国の学問の発展過程を比較し、紙・印刷技術の有無と学問の形態が密接に関係していることを論じています。ちょっと問題を単純化しすぎているんじゃないかとは感じましたが、メディアの発達と学問の発達を関連づけているところは、興味深く読みました。

 さて、鏡をみると、とんでもないクマができていました。クマができるのはいつものことなのですが、顔色も悪い。足下もフラフラするので、自分の体がちょっと心配になりました(笑)。今日は早めに今から帰って、寝ることにします。
 写真は昨日の写真です(24時ごろ)。昨日帰りに大学構内のライトに照らされながら粉雪が降っていたのを見て、感動したので取りました。雪はすぐに止みましたけど。でも、そりゃあ、こんな中40分もかけて歩いて帰ったら、調子も悪くならぁね(笑)。
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