教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

久しぶりの「全国誌投稿→残念!」

2011年04月26日 23時55分55秒 | 教育研究メモ

 どうも。

 最近、多忙の中をかいくぐりながら、久しぶりに某全国誌に投稿しておりました(3年ぶりくらいになるかも?)。結果はダメでしたけど。

 伝えたいことが見えにくくなるような書き方になっていたのかな。まだまだ精進が足らんということですね。研究と修養にかける時間が、切実に欲しい。

 うちの学内紀要では、投稿するのにかなり手間がかかるので、そんなことに手間をかけるくらいなら全国誌に投稿した方がいいよな、と常日頃思っておりました。そこにきて、「他の先生たちに本気の意見を聞いてみたいな」と思うような研究ができたので、投稿してみたわけです。まがりなりにも学界に貢献するつもりで投稿しているわけですので、掲載不可の通知は何度受けてもやっぱりヘコみますが、「専門家の本気の意見を聞く」という最低目標は達成できたので、一応の満足はしています。

 このたびお手数をおかけした関係者の皆様、ありがとうございました。私のような「みなしご」的な研究者としては、貴重な機会です。

 さぁて、いただいた査読意見を踏まえて、もうちょっと手を加えよう。…時間と気力が足りないけれど。

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4 コメント

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コメントありがとうございます (白石崇人)
2011-05-30 21:58:10
Mさん、コメントありがとうございます。遅くなりました。
おそらく悩みの内容は各職場で様々だと思いますが、教員の疲労感という問題はまちがいなく存在すると思います。あちこちで不特定多数にグチを吐きたい教員がいるというのは、それだけ問題が広範かつ根深いということを示しているんじゃないかな、と思っています。
グチについては、できるだけ自重しつつ、オブラートにつつみつつ、吐けそうな範囲を探りながら吐いていこうと思います。
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この議論 (M)
2011-05-27 13:21:49
白石さんに10票といったところですね。

現在の抑圧的なシステムの中で若い研究者がどれほど苦悩しているかを、多くの人はもっと理解すべきでしょう。「多くの人」というぼやけた表現で、あえて書いてみましたが。

わたしもすべて肯くグチばかりではありませんが、たかが、ブログのグチですよ。白石さん、遠慮なくどんどん吐きましょう。
返信する
ご苦言ありがとうございました (白石崇人)
2011-05-03 16:14:23
 小川先生、実名でのご苦言ありがとうございます。私のような者が、大先生から直々にご言葉をいただけるとは、光栄の限りです。ブログという情報発信媒体の発信範囲の広さに驚きました。
 おそらく十分に答えられないと思いつつ、お返事させていただきます。

1 先生が問題にされているのは、非公開である学会の審査過程を多少なりとも公開しているとみられる部分だと理解しました。おそらく、記事で触れた「誤読」「言いたいことに触れられていない」という部分でしょうか。考えてみれば、学会の審査内容を参照できないようにしているので、主張の正当性も確保できず、学会側が反論する余地もありません。また、日本教育史に関わる全国誌が数少ない現状では、「某」では匿名になっていないというのも一理あります。反論するなら、こんなところで愚痴ってないで、編集委員会へ直接反論すべきだという主張も、たしかに正論だと思います。
 しかし、私はそうしませんでした。言い訳に過ぎませんが、私がそう判断したのは次のように考えたからです。まず、審査内容は非公開であり、制度上、審査過程で私に反論機会はありません。このルールにはそれなりの意味があることは推察できるので、ルールを破る気は私にありません。そのため、現ルールに従い、審査内容の詳細を公開したり、学会(編集委員会)に反論するという選択はしませんでした。
 考える機会を与えてくれた某誌には、本当に感謝しています。感謝しているからこそ、この記事で言いたいことは、「誰が悪い」ではなく、「私の修練が足りない」になっています。読者には多くの傍観者も含んでいますが、その中にも少なからず同様の経験をしていて共感される(または気づかれる)方がいると思って公開しています。

2 おそらく1と同様のことを言われているのだと思います。不満があるなら正面から改善を求めよ、と。確かにそうです。今の職場では、機会を見つけてそうさせていただいています(他から見れば不十分なものでしょうが)。ただ、教員の多忙については、私の職場だけで起きているのではなく、あちこちで起こっているのは周知の通りです。この状況に少なからず共感される方が、このブログを見て居られるのではないでしょうか。
 このブログの最大の主題は、たぶん「今を生き抜くにはどうしたらよいか」です。私自身気分の悪いことを題材にしているので、読んでよい気持ちがしないのもわかります。申し訳なく思います。ですが、私だけの話ではなく、潰れかけつつ何とかやっている教員(若手に限らず)は、今も今までもたくさんいます。今、多忙を嘆く文があちこちで見られることにも、それなりの意味があるとは思うのですがどうでしょうか。
 私は無知ですので存じ上げませんが、もしこの状況を本当に打開する方法があるならば、ご紹介いただければ幸いです。
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無題 (小川正人)
2011-05-03 00:33:14
1 たいていの学会誌は投稿論文の審査過程を非公開にしていると思いますが、その審査について、「某全国誌」などという中途半端な開示(日本教育史に関わる「全国誌」はそう多くないので、実質的には開示したに近いでしょう)で自分の見解を述べるのはいかがなものでしょうか。審査結果についてのコメントを不特定多数の読者が見るところに書くのであれば、先ず当該学会の編集委員会に申すべきでしょう。

2 このブログに限ったことではありませんが、大学の教員が大学の本務の「多忙」ぶりを吐露してみせる文章をかくもしばしば公衆送信することも、読んでいてよい気持ちがしません。不当に多忙だと思うならば労働条件の改善を求める議論として正面から展開すればよいでしょう。
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