今年度、また1年生の担任(35人クラス)を務めております。目下、学生理解・指導に注力中。今の時期が肝心。2年間、入学から卒業まで担任を務めた経験が生きています。すごく学生理解や指導がしやすくなったような気がします。相変わらず、他の仕事の時間を回すことができないくらい大変ですが…。とにかく、これまで見てきた学生と、これから見ていく学生とは違うので、誤解や油断には気をつけないといけませんね。
さて、先日よりの原稿公開。今回のは、ただの先行研究のまとめではなく、少し基本史料を使っています。師範学校一覧を使って当時の教育学教科書を調べたのですが、たしか、教科書まで書いている一覧が少なかったので、苦労した記憶があります。
引用・参考文献の表記(例):
白石崇人「7 明治中期の師範学校における教育学教育」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170、2011.4.7(2007.1.19稿)。
または、
白石崇人「明治中期における教育学の制度化」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170、2011.3.30~4.8(2007.1.19稿)。
白石崇人「明治中期における教育学の制度化」(未公開稿)より
2.教育学教育の整備
(1)師範学校における教育学教育の制度
明治5(1872)年4月の学制発布は、どのように教員を養成し確保するかを重要な国家的課題とした。同年5月、文部省は東京に師範学校を設立し、小学教員の養成を開始した。設立当初の師範学校での教育は、アメリカ人M.M.スコットが務め、アメリカの師範学校をモデルとした教員養成を行った。また、明治6年1月には、小学校教授法の実験・練習の施設として師範学校附属小学校が設置された。さらに、明治6(1873)年から7(1874)年にかけて、文部省は大阪・仙台・名古屋・広島・長崎・新潟に官立師範学校を設立し、各大学区における教員養成の中心となった。ただ、官立師範学校だけでは教員の需要を満たすことはできず、各府県では教員志望者を集めて伝習所・講習所などの速成的な教員養成機関を開設され、次第に常設の師範学校に改称再編された。しかし、依然教員の需要は満たされず、速成科・講習会開設や巡回訓導派遣による速成的な教員養成は続けられた。明治8(1875)年、政府は、中学教員を養成するため東京師範学校に中学師範学科を設置し、従来とってきた、中学教員の大学における養成という方針を転換した。
師範学校での教育は、明治前期においては形式・内容・程度いずれも統一されていなかったが、明治14(1881)年8月の師範学校教則大綱によって統一的規程が示された。師範学校教則大綱は、初等師範学科(年限1年、小学初等科教員養成)・中等師範学科(年限2年半、小学初等科・中等科教員養成)・高等師範学科(年限4年、小学各等科教員養成)のいずれの段階でも、各教科とともに「教育学」「学校管理法」「実地授業」を授けることとした。明治19(1886)年、師範学校令が公布され、師範学校の体系化と教育精神・構造などの性格の基礎を形作った。これにより、中等教員養成を目的とする高等師範学校と、小学校教員養成を目的とする尋常師範学校とが区別された。高等師範学校は男子師範学科と女子師範学科に分かれた。明治19年に公布された「尋常師範学校ノ学科及其程度」「高等師範学校ノ学科及其程度」は、尋常師範学校と高等師範学校女子師範学科では教育科を置き、高等師範学校男子師範学科(理化学科・博物学科・文学科)では教育学・倫理学科を置くとした。尋常師範学校の教育科は、「総論、智育・徳育・体育ノ理、学校ノ設置・編制・管理ノ方法、本邦教育史・外国教育史ノ概略、教授ノ原理、各科ノ教授法及実地事業」を内容とし、従来の教育学・学校管理法・実地授業を統合した学科を授けた。高等師範学校男子師範学科の教育学・倫理学科は、「教育汎論、教授汎論、教授各論、教育史、批評及実地練習、人倫道徳ノ要旨」を内容とし、倫理学と共に授けられた。なお、明治25(1892)年に倫理学科は修身科に改められ、教育学科と分離されている。高等師範学校女子師範学科の教育科は、先述の男子師範学科教育学・倫理学科の内容から「人倫道徳ノ要旨」を除いた内容とし、倫理学とは別に授けられた。
明治23(1890)年、高等師範学校女子師範学科は独立して女子高等師範学校となり、女子師範学校・高等女学校・小学校教員および幼稚園保姆等の養成にあたるとされた。明治27(1894)年、「女子高等師範学校規程」「女子高等師範学校規則」が制定され、学科の中に「教育学」が置かれることになった。女子高等師範学校教育学科の内容は、「教育者タル精神ヲ養成スルヲ旨トシ、古来教育諸大家ノ事業主義方案等ヲ説キ、教育ノ沿革ヲ明カニシテ其原理方法ノ階梯トシ、教育ノ総論・各論・教授法及ビ保育法ヲ授ケ、兼テ教育ニ関スル法令規則ニ基キテ、学校及ビ幼稚園管理ノ方法ヲ授ケ、更ニ実地ニ就キテ既修ノ学理方法ヲ活用セシムベシ」とされた。また、明治27年、女子高等師範学校の改革より先に、「高等師範学校規程」「高等師範学校規則」が制定され、高等師範学校は尋常師範学校・尋常中学校の学校長・教員を養成し、「普通教育ノ方法ヲ研究スル」ことを目的とした。高等師範学校規則によって、教育学科の内容は「普通教育学、特殊教育学、教授法、教育史、応用心理学、教育法令、実地練習」とされ、地理・歴史などの各教科の内容に「教授法」が加えられることになった。この後の明治30年、師範教育令が公布されたが、その内容は師範学校令を整理するものであり、骨子は同じであった。
(2)師範学校における教育学教育の内容
次に、師範学校教育科・教育学科において使用されていた教科書を明らかにすることにより、師範学校における教育学教育の内容を検討する。なお、各師範学校の教育を見出せる史料である『師範学校一覧』または『師範学校年報』は、現在、明治10年代から20年代にかけてのものを多く確認することはできない。したがって、ここでは、いくつかの師範学校における教育科・教育学科の教科書の事例を明らかにする。
師範学校において、「教育学」の教育が全国的に始まったのは、明治14年の師範学校教則大綱以降と見て良いだろう。師範学校教則大綱の時期における師範学校の教科書は、とくに全国基準となるようなものはなかった。ただ、明治13年12月、文部省は、治安に妨害あるもの、風俗を紊乱するもの、教育上弊害あるものを師範学校等の教科書として採用しないよう、府県に通達した。また、明治16年7月には、師範学校等の教科書の採用・変更の際に文部省へ伺い出た上で決定すべき旨を通達した。このような文部省の管理の下、師範学校における教育学教育の教科書は選定されたのである。例えば、明治16(1883)年から17(1884)年までの東京師範学校では、教育学・学校管理法の教科書として、大槻修二『日本教育史略』、伊沢修二『学校管理法』(明治15年)、箕作麟祥『学校通論』、村岡範為馳『平民学校論略』が使われていた。また、例えば明治17(1884)年から明治18(1885)年までの大阪府立奈良師範学校では、教育学の教科書として西村貞訳述『小学教育新篇』1・2巻(明治14年)と小泉信一・日尾純三郎訳『那然氏教育論』(明治10年)が、学校管理法の教科書として西村貞訳述『小学教育新篇』3巻・4巻(明治14年)と伊沢修二『学校管理法』(明治15年)が使われていた。
明治19年の師範学校令などの法令によって、教育学・学校管理法・実地授業の教科は教育科または教育学・倫理学科にまとめられた。明治19年7月、森有礼文部大臣は、文部省訓令第7号にて師範学校が採用すべき教科書を示し、教育科の教科書について次のものを指定した。すなわち、伊沢修二『教育学』、高嶺秀夫訳『教育新論』、西村貞訳述『小学教育新篇』、有賀長雄訳『如氏教育学』、箕作麟祥訳『学校通論』、伊沢修二『学校管理法』、ジョセフランドン原著・外山正一訳補『学校管理法』、大槻修二編・那珂通高訂『日本教育史略』、平山成信訳『巴氏教育史』、村岡範為馳訳『平民学校論略』、若林虎三郎・白井毅編『改正教授術』、関信三訳『幼稚園記』が、師範学校教育科教科書として指定された。大阪府尋常師範学校では、有賀訳『如氏教育学』、伊沢『教育学』、箕作訳『学校通論』、伊沢『学校管理法』を用いた。千葉県尋常師範学校では、文部省訓令において指定された教科書のうち、高嶺『教育新論』、西村『小学教育新篇』、箕作『学校通論』以外の教科書を選択して使用した。
明治20(1887)年3月、文部省は府県の伺出を受けて、尋常師範学校の教科書を当該学校の教員会議において選択の上、文部大臣の裁定を経るべきことが通達された。千葉県尋常師範学校の場合、明治26(1893)年7月、本校男女生徒教科用図書と教師用参考図書を次のように定めた。すなわち、男生徒の教育科教科書は、佐藤誠実編『日本教育史』上下(明治23・24年)、沢柳政太郎・立花銑三郎訳『格氏普通教育学』(明治25年)、牧瀬五一郎『新編心理学講義』(明治25年)を用いることにした。また、女生徒の教育科教科書は、山縣悌三郎『中等教科教育学』前編(明治25年)、沢柳・立花訳『格氏普通教育学』(明治25年)を用いることにした。さらに男生徒教育科の教師用参考図書は、文部省編『日本教育史料』1~9冊、橋本武外訳『教育史』上下(明治25年)、能勢栄訳『根氏心理学』(明治26年)、大瀬甚太郎『教育学』(明治24年)、能勢栄訳『根氏教授論』(明治24年)、能勢栄訳『根氏教授法』(明治25年)、能勢栄『学校管理術』(明治24年)、和田万吉訳『普通論理学』(明治23年)を用いることとした。女生徒教育科の教師用参考図書は、三宅米吉『益軒ノ教育法』(明治23年)、普及社訳述『七大教育家列伝』(明治18年)、能勢栄訳『根氏教授法』、能勢栄『学校管理術』(明治24年)、林吾一編『幼稚園保育編』(明治20年)、関信三『幼稚園記』(明治9年)を用いることとした。
(以上、2007年1月19日稿)
<参考文献>
①日本近代教育史事典編集委員会編『日本近代教育史事典』平凡社、1971年。
②東京師範学校編『東京師範学校一覧』東京師範学校、1883年、筑波大学中央図書館所蔵。
③奈良県師範学校編『奈良県師範学校五十年史』奈良県師範学校、1940年。
④千葉県師範学校編『創立六十周年記念千葉県師範学校沿革史』千葉県師範学校、1934年。
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