教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

福山の教育関係者を調べるのは

2009年02月13日 21時08分00秒 | Weblog
 ふう、なんとか今週を乗り切りました。
 来週も忙しいので、まだ序の口です。
 忙しいですが、それでも「大日本教育会・帝国教育会の群像」の記事を追加。研究する小学校長・山田恵喜太の記事は、書いてて楽しかったです。大正期には、山田のような教員がたくさんいたんでしょうね。
 阿部の記事は、沼隈郡内の山陽本線沿線の村にあった小学校長のもの。資料がほとんどなくてとても短い記事ですが、3年前に書いた松永尋高小の西川・福原・松田校長(ファイル3・4・5)、最近書いた赤坂尋小の青景校長(ファイル35)と合わせると、松永町-赤坂村-瀬戸村という山陽本線沿線につらなる町村の小学校長を書くことができて、ちょっと満足しています。現在、松永と赤坂にはJR山陽本線の駅(松永駅と備後赤坂駅)があります。松永・赤坂・瀬戸は、尾道と福山の間に位置する町村です。
 阿部も山田も、広島東部・福山周辺の小学校長ですが、調べていて資料上の困難を少し感じています。福山市の初等教育史を一覧できる本が、なかなか見あたらないので。戦前に出版された自治体史は、学校長全員の在職期間を記すことがしばしばあります。調べるとき、非常に助かります。しかし、福山市は戦前に自治体史を作ってないのかな? 誠之館は有名ですが、福山市教育史は見あたらないし(ないのかな?)。戦後出版の『福山市史』は学校の簡単な沿革と種々の数字しか挙げていないので、人の履歴を調べているこの研究プロジェクトでは、ほとんど使えないんですよね。地方教育史は資料じゃないんですか、そうですか。仕方ないのかな。いい資料があったら教えてください。
 うーん。福山に行って、各学校史をさがすしかないだろうなぁ。広大や広島市内には、ほとんどないんです。
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