教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

江戸後期儒学の変容と徂徠学・懐徳堂儒学

2006年11月16日 22時36分23秒 | 教育研究メモ
 今日も運動後、登校。が、なにやら研究・勉強に手がつかない。うだらうだらしているうちに、日が暮れてきてしまいました(ぁ…ぁぁ…)。
 日も暮れてしまい、まずいことに、いまさら論文や学会発表準備に手をつける気にならない。さすがに一日何もしなかったというのはイヤなので、中村著のまとめに手をつけました。途中、友人Yがやってきて晩飯を喰らいに行きましたので、一時中断。その後、中村著のまとめを続行。このまとめが本当に必要になるのは、論文投稿・学会発表後なのですが、とにかく早くすませておきたい。広い視野を得ておくことは論文・学会発表の幅を拡げることになるので(この本をまとめるのは、私にとっていろんな意味でタイヘンなため、早く終わらせてスッキリしたいので)、やっておきたいのです(苦笑)。以下、とりあえずまとめたものです。

 中村春作「変容する『儒学知』・『国民』像の模索」(『江戸儒教と近代の「知」』第4章、ぺりかん社、2002年)をまとめよう…と思ったのですが、推論を重ねつつ抽象的な論理が展開していくので、最終的にわけがわからなくなり、またもまとめ切れませんでした。とりあえず、再び数時間かけて書いたまとめを一気に削除し(くぅっ…)、おおまかにまとめたものを挙げておきます。
 江戸後期とくに徂徠以降、反徂徠の中心となった大坂の懐徳堂儒学のなかで、儒学知が、閉鎖的な文人社会の特権的な知から、商人を中心とする社会の日常的な知へと変容したといいます。この懐徳堂の儒学知は、素読の普及とともに広く普及し、儒学知による共同意識を広範に発生させました。江戸後期には、この共同意識は、キリスト教を本質とする西洋文明に対抗するため、無宗旨の我が国においていかに「人心を一致せしめるか」(「民心一致」「民志一」)という問題意識の基礎となりました。また、徂徠などの古学派は、朱子学の宇宙論的な人間把握を排除して、「気質の性」を全うすべき人間観や、外部から人間の集合を「俗」として見いだす視座を生み出し、それが大衆(町人?)に受け入れられました。そのため、福沢諭吉にみられるように「風俗」「気風」の単位として人間が把握することが可能になり、「智」「徳」を備えた国民を、「一人の気風に非ずして全国の気風」という精神的な全体的表象のなかで捉えることができるようになった、ということらしいです。
 うーん、読めていない内容もある気がするなぁ。まとめるにあたって、たくさん割愛したんだもの。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒いぞっ! | トップ | 明日京都で初演があるんです。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

教育研究メモ」カテゴリの最新記事