<01月21日プレイリスト>
[ジェームス・ブラウン追悼「NonStop JB!」]
BROTHER RAPP/JAMES BROWN '70
GET UP I FEEL LIKE BEING LIKE A SEX MACHINE/JAMES BROWN '70
SUPER BAD/JAMES BROWN '70
I CRIED/JAMES BROWN '71
MAKE IT FUNKY/JAMES BROWN '71
I'M A GREEDY MAN/JAMES BROWN '71
DOING IT TO DEATH/FRED WESLEY & THE JB'S '72
I'M REAL/JAMES BROWN '88
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■内容の一部を抜粋
・竹内まりやのニュー・シングル
日本テレビ系で火曜日の午後9時から放送されている「火曜ドラマゴールド」のテーマ・ソングとして新曲「明日のない恋」が1月9日より使用されている。この曲が次のシングルとなるそうだ。発売日前となったらまた告知するとのこと。
・「NonStop JB!」Part.2
2006年12月25日に亡くなったジェームス・ブラウン(享年73歳)の追悼特集。ジェームス・ブラウン最盛期の1970年から1972年ぐらいまでのいちばんファンクの脂が乗っていた頃、珠玉のファンクの名曲をノンストップ、ノー・MCでお送りするプログラム。
15年に渡る番組の歴史でも前代未聞となるノンストップ、ノー・MCでお送りするプログラム。ブライアン・ウィルソンの『SMiLE』が出た時にノンストップでやったことはあるものの、2週間連続で、しかもジェームス・ブラウン・オンリーなので、かなり濃いものがある、とタツローさんは話す。
・ジェームス・ブラウンのレコード
ほんの20数年前までジェームス・ブラウンがラジオからながれるということ自体なかった。今ではジェームス・ブラウンのレコードはほとんどCDで聴くことができるし、つい先日は最も入手困難だったフェデラル時代のシングルがCD化されて、これでほとんどのものがCD化された。今は資料もたくさんあるし、ジェームス・ブラウンのことをちょっと知りたいと思えば本屋に行けばかなりのことが知ることができる。ほんの20年ぐらい前まではジェームス・ブラウンのシングルは何枚出てて、アルバムは何枚出てるのかすらわからなかった。そうしたよくわからない時代のほうがジェームス・ブラウンの全盛期だった。
・人生最高のシンガー
タツローさんは高校生の時から20代前半まで、ジェームス・ブラウンの全カタログが、一体どれくらいあるのかよくわからない時代に探して聴いてきた世代なので、今でも人生最高のシンガーであり、20世紀を代表するアーティストの一人だと思っているそうだ。だから2週間に渡ってタツローさん個人のベスト・オブ・JBをかけられることは、誇りに思うし幸せだと話した。
・BROTHER RAPP
1970年、全米ソウル・チャート2位。
・GET UP I FEEL LIKE BEING LIKE A SEX MACHINE
日本でいちばん有名なJBの曲、お馴染みゲロッパ「セックス・マシーン」。この時期のジェームス・ブラウンはそれまでフェーマス・フレームスというバンドで活躍していたが、バンドのストライキとか、バンドとトラブルになり、急遽メンバーを入れ替えた。やって来たのがペースメイカーズというバンドで、ここに在籍していたのがベースのブーツィー・コリンズ。'70年以降しばらくのあいだ、ブーツィー以下若いバンドに切り替わった。新しい時代を切り開いた。その突破口になったのがこの「セックス・マシーン」だった。1970年、全米ソウル・チャート2位。
・SUPER BAD
1970年、全米ソウル・チャート1位。「セックス・マシーン」と同じメンバーでナッシュビル録音。いつもはメシオ・パーカーのサックスだったが、若いバンドなのでほとんどフリー・ジャズ。
・I CRIED
CM前にかけたのはタツローさんがJBの全作品の中でいちばん好きな自作のバラード。1971年、全米ソウル・チャート15位。シングル・オンリーだったが、2000年頃に出たバラードのコンピレーションに素晴らしい音で収録された。素晴らしいオーケストレーションだが、アレンジしたのは当時のバンマス、デイヴ・マシューズ。この人がマンハッタン・ジャズ・クインテットのデイヴ・マシューズと同じ人とわかったのがつい最近のこと。それだけ資料がなかった。
・MAKE IT FUNKY
1971年、全米ソウル・チャート1位。
・I'M A GREEDY MAN
タツローさんがJBの全作品の中で最も愛着のある「I'M A GREEDY MAN」。素晴らしいスクリーム、とタツローさん。この頃になるとフェーマス・フレームスからJB'Sとバックバンドの名前が変わった。
・DOING IT TO DEATH
1972年にJB'Sのトロンボーン奏者のフレッド・ウェズリーの名前を冠して『FRED WESLEY & THE JB'S』というアルバムが出た。ここからシングル・カットされた「DOING IT TO DEATH」は1972年、全米ソウル・チャート1位。
・I'M REAL
1988年、ジェームス・ブラウン55歳の時にフルフォースと組んで出したアルバム『I'M REAL』からのシングル・カットで、全米2位となった。今のヒップホップに多大な影響を与えたジェームス・ブラウンのエネルギーがひしひしと伝わってくる名曲。
・100年後の評価
「今週は8曲、先週は12曲、計全20曲ノンストップでお送りしました。心よりJBのご冥福をお祈り申し上げます。永遠に彼の音楽はたぶん生き続けるでしょう。100年ぐらいしましたら、ビートルズと並んで称せられる芸術家として、JBは扱われることはたぶん確実だと思います」とタツローさん。
・来週は誕生日
1月は新春放談に続いてJB尽くしとなった。来週は2月4日、誕生日なので「山下達郎、誕生日の棚からひとつかみ」。2月になってようやくレギュラー・プログラムに戻る。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係
■今後の予定
02月04日は、レギュラー・プログラム「棚からひとつかみ」
ノンストップの追悼番組、よかったです。