聖書によると、神は人の姿を「我々に似せて作られた」なんて事を事がごく一部で、一時取りざたされた事がある。
神が複数いたなんて、キリスト教では有り得ないからけど、あまりにばかばかしくて無視され、直ぐに消えてしまった。
そんなことはどうでもいいんだけど、人の姿が神に似せて作られたとしよう。
でも、その前に神のパシリとして、天使が作られた事になっている。
人が想像した天使の姿は、人に翼をつけ、生殖器が無い。と絵画に書かれてきた。
教会が否定しないので、キリスト教会はそんな風に考えていると思っていいだろう。
ここで、神が創造した順番で言えば、天使が先だったのははっきりしている。
そこで疑問が出て来る。
翼が無ければ飛べないものを、自分の代わりに作業させるだろうか?
神自らは翼など無くて飛べるのだから、翼が無くても飛行出来る生物を作れる筈。
キリスト教を布教する上で、後から考えたんだろうが、翼以外が人間と酷似しているとなると、神にも翼が有ったと考えた方がしぜんだ。
また、飛行時のバランスを無視し過ぎていないか?
体を水平にして飛んでいる画では、下半身を持ち上げる為に定款部分の筋肉はどれだけ発達しなければならないだろう。
上昇するときには、ほぼ垂直に近い角度で上がっていくように描かれているが、揚力を全く無視している。
あくまでも、人間と区別を付ける為の記号として描かれているとは思うが、それだと、翼は邪魔なだけの部位になってしまう。
くだらない事を考えたものだが、そこからさらに疑問に思った者もいた筈だ。
神の使いである者は何故人形でなければならなかったのか?
狭了な憶測で思いつくのは、人の言葉を喋り、人よりも上位に位置づけられる者は、人の形をしていなければ、人としてのプライドが許せなかった。
神の次に偉いのは、人間であって、他のどんな姿をしていてはいけない。
と言うものだろう。
だから、いまだにキリスト教文化のアニメの大部分は人型は正義になるものね。
神が複数いたなんて、キリスト教では有り得ないからけど、あまりにばかばかしくて無視され、直ぐに消えてしまった。
そんなことはどうでもいいんだけど、人の姿が神に似せて作られたとしよう。
でも、その前に神のパシリとして、天使が作られた事になっている。
人が想像した天使の姿は、人に翼をつけ、生殖器が無い。と絵画に書かれてきた。
教会が否定しないので、キリスト教会はそんな風に考えていると思っていいだろう。
ここで、神が創造した順番で言えば、天使が先だったのははっきりしている。
そこで疑問が出て来る。
翼が無ければ飛べないものを、自分の代わりに作業させるだろうか?
神自らは翼など無くて飛べるのだから、翼が無くても飛行出来る生物を作れる筈。
キリスト教を布教する上で、後から考えたんだろうが、翼以外が人間と酷似しているとなると、神にも翼が有ったと考えた方がしぜんだ。
また、飛行時のバランスを無視し過ぎていないか?
体を水平にして飛んでいる画では、下半身を持ち上げる為に定款部分の筋肉はどれだけ発達しなければならないだろう。
上昇するときには、ほぼ垂直に近い角度で上がっていくように描かれているが、揚力を全く無視している。
あくまでも、人間と区別を付ける為の記号として描かれているとは思うが、それだと、翼は邪魔なだけの部位になってしまう。
くだらない事を考えたものだが、そこからさらに疑問に思った者もいた筈だ。
神の使いである者は何故人形でなければならなかったのか?
狭了な憶測で思いつくのは、人の言葉を喋り、人よりも上位に位置づけられる者は、人の形をしていなければ、人としてのプライドが許せなかった。
神の次に偉いのは、人間であって、他のどんな姿をしていてはいけない。
と言うものだろう。
だから、いまだにキリスト教文化のアニメの大部分は人型は正義になるものね。