5月30日(土)、東日本大震災から4年2ヶ月を経て、仙台と石巻を結ぶJR仙石線が全線復旧することになりました。被災各線の中でも、線路のルート変更を伴う復旧は初めてで、高台移転による復興まちづくりとも関連した取組みとして注目されます。
そこで復旧初日の様子を記録しようと、前日29日(金)夕方の福岡~仙台線を、マイレージで押さえました。
ところが29日は1日休みが取れることになり、となれば朝から仙台の地を楽しみたいと思うのが人情。マイルの特典航空券の変更は4日前までですが、当日空港に行って空席があれば、前の便に変更できるのがANAのルールです。
朝9時、空港に到着すれば、10時5分発の仙台便は満席。キャンセル発生に望みをつなぎ、第1ターミナルの展望台のマッサージチェアに体を揉まれながら待機しました。
9時50分、呼び出しの時間になっても、声はかからず。「満席での出発となりました」の一声もなく、置いてけぼりを食らったようでちょっと寂しくなりました。残念・・・。
帰宅して、大人しく家の掃除に勤しみました。
気を取り直して16時、再び福岡空港へ。夕方便も夜便も満席で、仙台便は終日満員という状況でした。
仙台行きの機材は小さい上、平行していたスカイマーク便の休止の影響もあるのでしょう。
日本海側を北上して約2時間、仙台空港が近づいてきました。海岸の堤防の復旧工事は進みましたが、陸地はまだまだ荒涼とした状態。緑の復活には、時間がかかりそうです。
汗ばむ陽気だった福岡に比べると、ぐっと寒い仙台空港着。仙台空港駅から、仙台空港アクセス鉄道に乗って仙台駅に向かいました。SUGOCAも使えて、便利です。
ワンマン運転とはいえ、JR東日本の標準仕様の電車で自動放送を聞いていると、いまいる場所が東北なんだか東京なんだか分からなくなります。仙台に近付くにつれ、4両の電車はラッシュともいえる混み具合になってきました。
仙台駅到着。向かい側のホームにはキハ110系が停車していて、カメラを構える人も数人いました。
実はこの列車、仙台と石巻を石巻線経由で結ぶ、直通快速の最終列車です。不通が続く仙石線に代わって1日2往復、通勤輸送の大切な足として走ってきました。そのお勤めも、今日で終わりです。
地下の仙石線ホームは震災の年、節電のため「真っ暗」ともいえるくらいに照明が落とされていましたが、だいぶ明るくなりました。それでも、まだまだ照度は抑え目のように感じます。
案内板には、明日の復旧の告知が繰り返し流れていました。
地下区間を飛び出した最初の駅、苦竹で下車。急カーブを描く古びた高架上のホームは、鶴見線を連想させます。
都心からは距離のある街ですが、周辺には飲み屋が連なっており、ささやかな規模ながら繁華街の趣を感じる界隈です。近隣に自衛隊の駐屯地があるのだとか。
今日は、ひさびさのゲストハウス泊り。500円で夕ご飯を食べられる上に、アルコール類も充実した、僕のような旅人には嬉しい宿です。
荷を降ろすのもそこそこに、ご飯を食べながら一夜限りの旅仲間と盛り上がりました。
とはいえ、明日は仙石線の始発に乗るべく4時台起き。夜更けまで語り合いたい気持ちをぐっと抑え、先に布団に入りました。
翌朝、4時半に起床。周りに迷惑を掛けないよう、そっと部屋を出ました。
4時台に起きるのだなんて何年ぶりか分からないけど、東に来た分ずっと夜明けは早く、いつもの6時台起きとあまり気分が変わりませんでした。
苦竹駅では、足元がおぼつかない人が何人か始発を待っており、まだ前夜の続きといった風情。しかし柱に掲げられた横断幕が、今日が念願の再出発の日であることを伝えていました。
あおば通り5時01分始発の、仙石線復旧一番電車が入ってきました。ヘッドマークなどの飾り付けは一切なく、突如寸断された4年2ヶ月前と同じ姿です。
車内もカメラを手にした人が多いくらいで、いたって日常の雰囲気。ただ車内放送では、この列車が復旧一番電車であることや、沿線復興に関わるJR東日本としての決意、沿線の歓迎には応えてほしいことなど、一番電車らしい内容の女性車掌の放送が続きました。
一部で内陸移設が行われたとはいえ、引き続き海岸近くを走る仙石線。車内には、津波警報発令時の避難要領が掲示されていました。決して二度と来てほしくはない災害だけど、備えは忘れちゃいけません。
多賀城、本塩釜など、高架の都会風の駅を過ぎれば、松島湾が見え始めてきます。
松島海岸駅は、松島観光の拠点駅。昨日までは、代行バスの乗り継ぎ拠点として乗り換え客が行き交っていました。駅前広場の静けさは、本来の姿でもあります。
今回の全線復旧に合わせて、松島付近で仙石線と東北線をショートカットする「仙石東北ライン」が開業するのも大きなエポック。両線の渡り線には、多くの人がカメラを向けていました。
高城町から陸前小野までは、いよいよ今日から復旧の区間。今乗っている電車が、4年2ヶ月ぶりの営業列車です。
陸前大塚までは、既設の線路を復旧した区間。松島湾を望む風光明媚な車窓は、真新しい防波堤に阻まれていました。しかし、4年2ヶ月前に起きた災害を考えれば、やむを得ないことです。
陸前大塚駅で、石巻からの一番電車と行き違い。車内にいた人の2/3以上がホームに出て、その到着を見届けました。電車に乗っている分には一番電車目当てなのか、普通の乗客なのか区別がつきませんでしたが、やはりお祝い乗車が多かったようです。
クールな通勤電車ながら、上下列車で手を振り合い、再開の喜びを分かち合いました。
この先 陸前小野までは、津波で壊滅的な被害を受けた区間。将来に渡って安全を担保すると同時に、高台移転のまちづくりの核となるべく、まったく新しい線路を引き直しました。
防波堤の用地として生まれ変わる旧線跡を横目に、真新しい高架橋を丘陵地帯に向けて駆け上がります。
移転した東名駅着。駅前には、大規模な造成地が広がるばかりです。
松島湾は、高台から見下ろす格好になりました。
快速停車駅でもある野蒜駅では、多くの関係者が下り一番電車を見送りました。両駅の周辺はのちほど歩いてみるとして、先を急ぎます。
鳴瀬川の長い橋梁を渡り、陸前小野駅着。ソックスで作られたオリジナルキャラ「おのくん」を手にした、地元の人たちの見送りを受けました。
陸前小野から石巻までは既に復旧していた区間ですが、車や自転車から手を振る人が大勢いたのが印象的でした。電化設備が被災したことから、昨日まではディーゼルカーが走っていた区間。以前のように走る4両の電車も、復興のシンボルなのかもしれません。
石巻側の代行バス乗り継ぎ拠点だった矢本駅も、今日からは普通の中間駅です。
1時間半の行程を走り抜き、一番電車は6時27分、無事に石巻駅に到着。大勢の出迎えを受け、4年2ヶ月ぶりの「電車」が石巻駅に入ってきました。
到着したホームの向かい側では、仙石線と東北線を松島付近の短絡線で結んだ新ルート「仙石東北ライン」の出発式が行われていました。
以前から要望のあったという悲願のルートだけに、全線復旧と並ぶ大きなエポック。仙石線一番列車の出発式と1時間差で行われたのも、石巻の期待の現われです。
ホームにも駅前にも、お祝いムード一色でした。
そこで復旧初日の様子を記録しようと、前日29日(金)夕方の福岡~仙台線を、マイレージで押さえました。
ところが29日は1日休みが取れることになり、となれば朝から仙台の地を楽しみたいと思うのが人情。マイルの特典航空券の変更は4日前までですが、当日空港に行って空席があれば、前の便に変更できるのがANAのルールです。
朝9時、空港に到着すれば、10時5分発の仙台便は満席。キャンセル発生に望みをつなぎ、第1ターミナルの展望台のマッサージチェアに体を揉まれながら待機しました。
9時50分、呼び出しの時間になっても、声はかからず。「満席での出発となりました」の一声もなく、置いてけぼりを食らったようでちょっと寂しくなりました。残念・・・。
帰宅して、大人しく家の掃除に勤しみました。
気を取り直して16時、再び福岡空港へ。夕方便も夜便も満席で、仙台便は終日満員という状況でした。
仙台行きの機材は小さい上、平行していたスカイマーク便の休止の影響もあるのでしょう。
日本海側を北上して約2時間、仙台空港が近づいてきました。海岸の堤防の復旧工事は進みましたが、陸地はまだまだ荒涼とした状態。緑の復活には、時間がかかりそうです。
汗ばむ陽気だった福岡に比べると、ぐっと寒い仙台空港着。仙台空港駅から、仙台空港アクセス鉄道に乗って仙台駅に向かいました。SUGOCAも使えて、便利です。
ワンマン運転とはいえ、JR東日本の標準仕様の電車で自動放送を聞いていると、いまいる場所が東北なんだか東京なんだか分からなくなります。仙台に近付くにつれ、4両の電車はラッシュともいえる混み具合になってきました。
仙台駅到着。向かい側のホームにはキハ110系が停車していて、カメラを構える人も数人いました。
実はこの列車、仙台と石巻を石巻線経由で結ぶ、直通快速の最終列車です。不通が続く仙石線に代わって1日2往復、通勤輸送の大切な足として走ってきました。そのお勤めも、今日で終わりです。
地下の仙石線ホームは震災の年、節電のため「真っ暗」ともいえるくらいに照明が落とされていましたが、だいぶ明るくなりました。それでも、まだまだ照度は抑え目のように感じます。
案内板には、明日の復旧の告知が繰り返し流れていました。
地下区間を飛び出した最初の駅、苦竹で下車。急カーブを描く古びた高架上のホームは、鶴見線を連想させます。
都心からは距離のある街ですが、周辺には飲み屋が連なっており、ささやかな規模ながら繁華街の趣を感じる界隈です。近隣に自衛隊の駐屯地があるのだとか。
今日は、ひさびさのゲストハウス泊り。500円で夕ご飯を食べられる上に、アルコール類も充実した、僕のような旅人には嬉しい宿です。
荷を降ろすのもそこそこに、ご飯を食べながら一夜限りの旅仲間と盛り上がりました。
とはいえ、明日は仙石線の始発に乗るべく4時台起き。夜更けまで語り合いたい気持ちをぐっと抑え、先に布団に入りました。
翌朝、4時半に起床。周りに迷惑を掛けないよう、そっと部屋を出ました。
4時台に起きるのだなんて何年ぶりか分からないけど、東に来た分ずっと夜明けは早く、いつもの6時台起きとあまり気分が変わりませんでした。
苦竹駅では、足元がおぼつかない人が何人か始発を待っており、まだ前夜の続きといった風情。しかし柱に掲げられた横断幕が、今日が念願の再出発の日であることを伝えていました。
あおば通り5時01分始発の、仙石線復旧一番電車が入ってきました。ヘッドマークなどの飾り付けは一切なく、突如寸断された4年2ヶ月前と同じ姿です。
車内もカメラを手にした人が多いくらいで、いたって日常の雰囲気。ただ車内放送では、この列車が復旧一番電車であることや、沿線復興に関わるJR東日本としての決意、沿線の歓迎には応えてほしいことなど、一番電車らしい内容の女性車掌の放送が続きました。
一部で内陸移設が行われたとはいえ、引き続き海岸近くを走る仙石線。車内には、津波警報発令時の避難要領が掲示されていました。決して二度と来てほしくはない災害だけど、備えは忘れちゃいけません。
多賀城、本塩釜など、高架の都会風の駅を過ぎれば、松島湾が見え始めてきます。
松島海岸駅は、松島観光の拠点駅。昨日までは、代行バスの乗り継ぎ拠点として乗り換え客が行き交っていました。駅前広場の静けさは、本来の姿でもあります。
今回の全線復旧に合わせて、松島付近で仙石線と東北線をショートカットする「仙石東北ライン」が開業するのも大きなエポック。両線の渡り線には、多くの人がカメラを向けていました。
高城町から陸前小野までは、いよいよ今日から復旧の区間。今乗っている電車が、4年2ヶ月ぶりの営業列車です。
陸前大塚までは、既設の線路を復旧した区間。松島湾を望む風光明媚な車窓は、真新しい防波堤に阻まれていました。しかし、4年2ヶ月前に起きた災害を考えれば、やむを得ないことです。
陸前大塚駅で、石巻からの一番電車と行き違い。車内にいた人の2/3以上がホームに出て、その到着を見届けました。電車に乗っている分には一番電車目当てなのか、普通の乗客なのか区別がつきませんでしたが、やはりお祝い乗車が多かったようです。
クールな通勤電車ながら、上下列車で手を振り合い、再開の喜びを分かち合いました。
この先 陸前小野までは、津波で壊滅的な被害を受けた区間。将来に渡って安全を担保すると同時に、高台移転のまちづくりの核となるべく、まったく新しい線路を引き直しました。
防波堤の用地として生まれ変わる旧線跡を横目に、真新しい高架橋を丘陵地帯に向けて駆け上がります。
移転した東名駅着。駅前には、大規模な造成地が広がるばかりです。
松島湾は、高台から見下ろす格好になりました。
快速停車駅でもある野蒜駅では、多くの関係者が下り一番電車を見送りました。両駅の周辺はのちほど歩いてみるとして、先を急ぎます。
鳴瀬川の長い橋梁を渡り、陸前小野駅着。ソックスで作られたオリジナルキャラ「おのくん」を手にした、地元の人たちの見送りを受けました。
陸前小野から石巻までは既に復旧していた区間ですが、車や自転車から手を振る人が大勢いたのが印象的でした。電化設備が被災したことから、昨日まではディーゼルカーが走っていた区間。以前のように走る4両の電車も、復興のシンボルなのかもしれません。
石巻側の代行バス乗り継ぎ拠点だった矢本駅も、今日からは普通の中間駅です。
1時間半の行程を走り抜き、一番電車は6時27分、無事に石巻駅に到着。大勢の出迎えを受け、4年2ヶ月ぶりの「電車」が石巻駅に入ってきました。
到着したホームの向かい側では、仙石線と東北線を松島付近の短絡線で結んだ新ルート「仙石東北ライン」の出発式が行われていました。
以前から要望のあったという悲願のルートだけに、全線復旧と並ぶ大きなエポック。仙石線一番列車の出発式と1時間差で行われたのも、石巻の期待の現われです。
ホームにも駅前にも、お祝いムード一色でした。