毎日見ていると、その成長に気づかない。
それは子供でも樹木でも同じ。
我家の子供たちが保育園に通っていた頃、或る保育士の庭から保育園にドングリの木を移植した。
もう二十数年前のことだ。
そのどんぐりが育って大木になった。
砂場の横にあり、子供たちに格好の日陰を提供した。
だが、誰も手入れをしない。
密植した枝は風も光も通さず、毛虫の住処となった。
依頼されて、保育園の樹木の手入れに行った。
剪定前のドングリとビワ。
砂場で遊んでいると毛虫が落ちてくる状態。
剪定前の桑。
桑の実がなっているが、あまりに高過ぎて子供たちには採れない。
枯れてしまっている枝もある。
美しくない。
一日費やして剪定をした。
僕は庭園管理士だ。
民間の資格だが、高い授業料を払って取ったのだから名乗らせてもらおう。
剪定後のドングリとビワ。
どうだ、風が通り、光が踊るだろう。
剪定後の桑。
どうだ、サッパリしただろう。
色々な流儀がある。
剪定は芸術と似ている。
僕が目指すのは、風が通り、木漏れ日が木の葉を緑にきらめかせる、そんな姿だ。
そんな樹木が集まってできた林や森は、僕が鳥だったら住み着いてしまうだろう。
剪定は子供たちがいない日曜日にしかできない。
下見に行った時に砂場で遊んでいた子供たちは、毛虫がいっぱいいるから木を付けてねと言った。
明日登園してきた子どもたちは、木の葉の間から青空が見えてきっとびっくりするだろう。
その姿を見たいものだ。
今日の一枚
夕闇が訪れるのはこれから。
左に飯縄山と霊泉寺山。そして、前山の後ろにかろうじて見えているのは日本百名山の高妻山。その台形の右端に少し頭を持ち上げているのが乙妻(おとつま)山。
それにしても、この高妻、乙妻のペアは名前だけでなく姿も美しい。
昨年、この山の山頂付近で御嶽山噴火のニュースが飛び込んできた。
まだ6名が発見されていない。
自然への畏怖と、感謝を忘れないようにと改めて思う。