白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

旅立ち

2024年05月24日 18時22分39秒 | 日記
『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、』
奥の細道の冒頭、『旅立ち』の一節。
思い起こせば軽井沢追分から出雲崎までの北国街道を歩き、その後五街道の街道歩きを始めた。
中山道を京都三条大橋まで完歩した感動は忘れられない。
東海道は箱根越えと鈴鹿峠越えが思い出に残る。
甲州街道は笹子峠と小仏峠、共に街中ほどの大きな変化がなく、江戸の時代もこんな道であったろうという気分を味わうことが出来た。
街中の旧宿場町も好きだが、やはり峠道が好きだ。
コロナ禍を挟んで長い中断があった。
昨年の12月、完歩した。
五街道のうち三街道は歩き終えた。
もう残された時間はそう多くない。
やり残したということがないよう、やりたいことは躊躇しないで実行しよう。
奥の細道は宇都宮から奥州街道に変わる。そこまでは日光街道だ。
日本橋から奥の細道を歩いて行けば日光街道と奥州街道を歩くことになる。
こうして旅立った。(続く)