白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

命の不思議

2016年05月11日 22時09分44秒 | 日記

あれはもう20年近く前のことだ。

とある林檎畑の林檎の木の根本から、一本の小さな苗木が出ていた。

それを採ってきて、庭の片隅に植えておいた。とても無知だったので、大きくなればいつか林檎が成るかもしれないと思っていた。

林檎の木は背丈ほどに伸びた。でも花は咲かない。

調べてみると、林檎の木は全て接ぎ木で、台木には花も咲かないし、実も成らないという衝撃的な事実が明らかになったのは去年のことだ。

この冬、真っ白に積もった雪の上に、剪定の終わった枝が、無造作に投げ捨てられていた。

知り合いの林檎畑だったので、それを拾って持ち帰った。

ナイロン袋に入れて保存しておいた枝を、3月中旬に台木に接ぎ木した。

もちろんそんな経験はないし、農家ではないので、詳しい管理方法も良くはわからない。

ネットで調べて、自分なりに肝となるところを理解して、有り合わせの材料で間に合わせた。

4月になり、梅が咲き、桜が咲いた。

林檎の芽は接いだ時のまま、大きくならなかった。

周りの林檎畑を見ると、既に芽は大きく膨らみ、やがて葉が出てきていた。

台木の方は、芽が膨らみ、葉が出ていた。接いだ枝は、待てど暮らせどそのままだった。

これは、失敗したのかなと本気で思った。

接いだ箇所に巻いたテープは役目を果たしているはずだ。他に考えられる原因とすれば、剪定して捨ててあった枝が、古くてダメだったのだろうか。

それとも、接いだ枝にナイロン袋をかぶせて置かなかったので、枝の先端から水分が蒸発して枯れてしまったのだろうか。

今年の枝は取り払って、また、来年再挑戦しよう。何度もそう思った。それでも、万一ということもある。もう少し様子を見よう。辛抱、辛抱。

そんな風にして、数日様子を見なかった。

雨が上がった今朝、庭の巡回をしていて、驚いた。

なんと、接いだ林檎の枝から、葉が出ていたのだ。芽が膨らみ始めた枝もある。

枯れたような枝だが、命がそこに宿っていたのだ。

 

 

枝の芽が、大きくなって、花が咲き、やがて林檎の実をつける。そんなことを夢想しながら、この枯れたような枝の、どこにこんな命が宿っていたのだろうと不思議に思う。

枝についだ、枝接ぎという方法なので、来年は違う品種を、別の枝に接ぐ事ができる。ちなみに、今年接いだのはフジという品種だ。

ホームセンターで林檎の苗木を買ってくれば、千円以下で買える。

それでは、面白くない。第一、20年近くも育ててきた台木に申し訳が立たない。

挿し木は何度も成功させてきたが、接ぎ木は初めての経験で、毎日毎日見守ってきた。それが、こんな感動をもたらせてくれた。

広い庭ではないので、大きく育てることはできないが、盆栽仕立てで、林檎のをが眺められれば良しとしよう。

 

 

 

雨上がり、山の植物も活き活きとしていた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿