時代遅れの男になりたいという河島英五の歌がある。
時には僕もそんな気持ちになることがある。
東京都知事選で二位になった候補者、兵庫県知事選で再選された候補者、ともに僕には異星人のような違和感がある。共にSNSを駆使して票を集めた。
当事者ではない僕が何を感じたか少しだけ記そう。
真実が何なのか少し離れているだけによく見えていた気がする。
だが、そのことに関しては黙していよう。
多分気分を害する人もいよう。
ただ、僕はデジタル社会の今の在り様がどうにもしっくりこないところがある。
今から四十六年前、初めてマイコンというコンピユーターに触れた。日本語はカタカナしか打てなかった。記憶媒体もカセットテープだった。新しい技術というのは面白かったし、その後の進化に目をみはったりもした。それが、今やスマホに結実し、持っていないことで驚かれたりするほどになった。
十二年前にリタイヤすると仕事で持たされていたガラケーを返却してサッパリした。それ以来とても自由になった。
山に登り、農作業をし、樹々の剪定をしそばを打った。
実在の生活がそこにあった。
時たまネットも活用した。
だが、どこか架空の匂いがした。
他人のブログを読むのも結構気力と体力を必要とする。
そんな時時代遅れの男でいいじゃないかと心から思う。
ブログなんて読まなければ無いと同じだ。
虚構の世界じゃないかとまで思う。
確かな手触りの世界。それがこの二週間ほどの間にあった。
水洗トイレの水漏れがあり、その対策に悪戦苦闘していたのだ。
最初は床に水が溜まっているとかみさんが言った。
かなりの量が漏れていた。
水道の元栓を閉めるとその蛇口の接続部から細い水しぶきが三本噴き出した。
ねじを締めマシしてそれは止まった。
それでも少しどこかから水が漏れている。
ロータンクという水を貯めるタンクの水抜き穴の下が湿っていることに気づき、パッキン部分をきつく締める。
治ったと思ったところ、数日してまた床に水が溜まっている。
水抜きが二か所あり、そこも締めなおしてみる。
また数日して床に水が溜まっており、ロータンクそのものを取り外してみた。
何しろ狭い場所で、ネジを回すのも専用工具がないので一苦労。
その結果、接続部のパッキンがへたっているのを発見。
メーカーに問い合わせ、部品名を教えて貰った。
取り敢えずネジを思いきり締め上げて組み立てなおした。
今のところ水漏れは止まっている。
業者さんに頼めば、すぐにとんで来てくれるだろう。
現代ではそれが当たり前。
時代遅れの僕はできるところまでは自分でやろうと思う。
そうでなければつまらない。
そんなことで、しばらくは皆さんのブログにお邪魔することもないかもしれない。
実態のある暮らしを大事にしたい。
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