白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

おれは美しく歩いているか

2011年08月23日 23時20分43秒 | 日記

『うちの会社は60歳までなので来年の誕生日で雇用は打ち切る』

昨年の暮れ、社長はそう言った。

年金の支給が65歳からとなり、つじつま合わせに雇用延長法という法律を作った。

だから60歳を理由に雇用を打ち切るのは違法ということになる。

『そのあとは嘱託でまた来て欲しい』とも言った。

ぼくは辞める決心はしたが、嘱託の話には返事をしなかった。

 

そして退職した。

記念の佐渡旅行から帰って、今日健康保険の手続きや年金の申請に必要な書類を貰いに、役場や会社に行った。

そうした手続きの、なんと面倒なことか。

これからハローワークや社会保険事務所にも行かなければならない。

ボーっとしているひまなんか無い。

 

退職を待っていたかのように知り合いから夜だけの仕事を頼まれた。

数時間だけの仕事なので引き受けた。

どうも貧乏性が抜けない。

ATMの照明をLEDに替える仕事だ。

節電対策が急がれているのだろう。

自分の技術や知識が生かせる場所があるというのはいいことだ。

この仕事は9月7日まで。

長野県内、あちこちなので、仕事時間よりも移動時間の方が長くなる。

 

知り合いからパソコンの修理も依頼された。

インターネットに繋がらないという。

調べてみると見事にウィルスに感染している。

セキュリティソフトが働いてインターネットを遮断している。

駆除を試みているが、どうもリカバリしたほうが良さそうだ。

 

 

それやこれやで、退職時に持ち帰った荷物の整理もできないでいる。

まあ、あせらないでボチボチやろう。

 

 

『いわし雲 背中丸める 人がいて』

佐渡へ渡る船の中で、背を丸めてうつむき加減に歩く人を見た。

ぼくは自問する。

俺は美しく歩いているだろうか。

そしてことさらに背を伸ばし見上げた空には、もう秋の気配をそこはかとなく漂わせたいわし雲が浮かんでいた。


還暦 佐渡へ 

2011年08月22日 21時29分07秒 | 日記

8月21日。

今日で還暦。会社は昨日で退職。

ささやかながら記念の旅をする。佐渡一泊旅行。

5時前に家を出て、直江津港7時発の船に乗る。家を出て直江津までは雨だったが、船が沖に出ると雨は止んだ。何しろ稀代の晴れ男なのだ。

 

『こしひかり越後ビール』を飲みながら海を眺める。

『今が青春。これからが人生』

何年か前に、第2の人生を歩き始めた人に送った写真に書き入れた言葉。今度は自分に送ろう。

 

昨年信濃の追分から越後の出雲崎まで、北国街道を歩いた。

海岸沿いの道路からときたま見えた佐渡。

昔罪人がこの道を通って佐渡に流された。

佐渡で採れた金がこの道を通って江戸に運ばれた。

北国街道の仕上げに佐渡へ渡ろうと決めたのは、穏やかな秋の日差しの中の出雲崎の海岸だった。

 

効率や利益ばかりを追い求めなければならなかった会社員としての自分とは今日でお別れ。

自由人として生きる。

本物を見極め必要なものだけを手に入れよう。

風を感じ、花を愛で、寂寥の中に月を見よう。

大切なこれからの時間。自分と愛する人たちのために使おう。

生活の糧の問題はあるが、それは考えないでおこう。なんとかなる。なんとかする。

大切なのはそんなことじゃない。

考えない。感じよう。ぼくはぼくの感性を信じる。

この60年、封じ込めてきた感情がある。想いがある。だけどもう遠慮はいらない。

ぼくはぼくの人生を生きる。

 

 

そのようにして渡った佐渡は還暦祝いと退職記念にふさわしい良い旅だった。

レンタカーが借りられなかったので、定期バスでの移動になったが、バスの本数が少なくて移動には苦労した。

思った以上に佐渡は大きくて、まだまだ回り残したところがたくさんある。

七浦海岸の民宿に泊まった。雲を茜色に染める夕陽を見た。美味い海の幸を堪能した。

近くの長手岬の灯台にも行った。海の色が透き通って、海底を歩くカニや泳ぐ魚が見えた。

 

 

翌日は長手岬から佐和田まで海を眺めながら約12kmを歩いた。

小木を出る船は12時50分の一本だけなので、後はバスでそれに間に合うように港に着いた。

埠頭では有名な鼓童の人たちが結成30周年のイベントで太鼓を叩いていた。

出航する船からは乗客が色とりどりのテープを投げた。

甲板で遠ざかっていく佐渡を眺めていると、突然太鼓と笛の演奏が始まった。

佐渡のイベントに参加したグループが岡山に帰る途中だという。

それは予定されていたものではなく、偶発的に始まったものだ。

大道芸の青年も飛び入りで参加してとびきりの芸を披露してくれた。

幸運にもその時甲板にいた20~30人だけが演奏を聴き、見ることができた。

なんて楽しそうに演奏するんだろう!

そんな顔で生きていけたらいいなと思う。

最高の誕生日プレゼントだ。

 

 

帰宅すると次男からのケーキが届いていた。

少し前に千葉にいる長男からは沖縄土産とメッセージが届いていた。

岐阜にいる長女からはお祝いのメールが届いた。

 

これからが本当の生き方が試される。怠惰な生活を送らないようにしよう。

 


蕎麦打ち

2011年08月03日 19時41分07秒 | 日記

夏。

そーめん、冷麦、冷やし中華。冷たい麺がおいしい。

蕎麦は冬が最もおいしい時期だ。夏になると蕎麦粉が劣化して新蕎麦の頃とは比べ物にならない。

それでも、夏でもおいしい蕎麦を食べたいと細心の注意を払って蕎麦を打った。

この蕎麦粉は『蓼科』という商品名のかなり高品質の蕎麦粉だ。

業務用の蕎麦粉とは違う。

 

丸延し。

薄緑の色が何とも言えない。

 

切り。

丹念に水廻しをしたので、長い蕎麦ができた。二つ折りなので長さはこの倍になる。

 

ほとんど自家製の野菜中心の食卓。

この時期としては満足のいく蕎麦が打てた。

このところ蕎麦は一応繋がるので、水廻しを少し手抜きしていたのかもしれないと反省してみる。

多分蕎麦打ちはもうお手のものという慢心があったのだろう。

水廻しが蕎麦打ちの一番大事な作業なのだと改めて肝に銘じる。

このところのテーマは夏の蕎麦をおいしく打つことだった。

前回、今回とかみさんの評価も『おいしい』。

 

蕎麦は健康にもとてもいい。

親しくしているご婦人は脳梗塞で倒れ、左半身が不自由になった。

そのため運動不足でかなり体重オーバーの体になった。

食事制限を言い渡されているのだが、『蕎麦ならいくら食べてもいいよ』と医者に言われたという。

今度おいしい蕎麦を振舞ってあげよう。