音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

やさしくわかる 般若波羅蜜

2012年02月01日 | 日常雑感
仏教用語はサンスクリットを漢訳した仏教経典に依っていることもあり、難解で不可解に感じられる面が多い。

これは日常の事を哲学用語で言うと難解でよけいに分からなくなるのと似ている。

それが昂じて、深遠、不思議の世界を論じているものと勘違いしやすい。

これは初歩的な誤解で、経典を現代語に訳してみると、ごく普通のことを言っているのがわかる。

そこで最も有名な「般若波羅蜜」をやさしく現代語に訳してみると。

まず「波羅蜜(はらみつ)」は「彼岸にいたる」という意味。

迷いと苦しみの世界を「此岸」といい、迷いと苦しみを脱した悟りの境地を「彼岸」という。したがって「彼岸」は「あの世」のことではない。

この迷い、苦しみなどを脱した「彼岸」に至るには6種類の修行がある。

布施、持戒、忍辱、精進、禅、智慧の六つの修行のことで、これは ほぼ読んで字の通りの意味。これを六波羅蜜という。

この六つの修行には万差があるので、六度万行ともいう。つまり悟りの境地に至るには六度万行を行わねばならず、まず一生かかっても無理・・・と思われる。

このうちで「般若」は「智慧」のこと。

したがって「般若波羅蜜」とは現代語で言うと「真実の智慧により、迷い・苦しみを脱した境地にいたる」という意味。

こういう風に言ってもらうと、仏教も分かりやすいし、摩訶不思議なものでも、深遠で不可解なものでもない という事が分かる。

実生活に即した、いわば生活の智慧、生きる智慧を言っているのがわかる。

お坊さんも「ハンニャハラミタソワカー」などと意味不明なことを叫ぶのではなく、現代語で仏教を語ればいいのになあと思う。

そうすれば、誤解や迷信もなくなり、摩訶不思議も不可解も解消されるのになあ、と思う。

仏教で摩訶不思議風によく使われる「空」「禅」などについても、そのうち現代語に訳してみたいなあと思う。


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