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東京から帰って、あくる日から夏季休暇後半は、壇ノ浦に出かけた。
お盆に、平家終焉の地~壇ノ浦に出かけて、平家一門を弔うのも趣向があって良かろう、と思いつつ。
昔から平家物語が大好きで、壇ノ浦は、一度は行きたいと思い続けていたところだった。
下関から唐戸、赤間が関へと向かった。
平教経、知盛、資盛、二位の尼(清盛の妻・時子)・・・などが眠る、平家一門の墓を訪れて、供養にと、笛を吹かせていただいた。
真横には、耳なし芳一の祠もあった。
この場所で、芳一が琵琶で平家物語を語り、平家の亡霊が集まって、夜な夜なすすり泣いた、と伝わる所だ。
続いて、安徳天皇陵前でも、供養にと、笛を吹かせていただいた。
若干8歳で、二位の尼に抱かれ「波の下にも都のそうろう」と入水された幼帝だ。
平家一門の墓、安徳天皇陵を弔ったあとは、「壇ノ浦古戦場跡」を訪ねた。
門司と下関に挟まれた狭い海峡で、関門海峡大橋の真下にあたる。
「壇ノ浦の戦い」は、潮の流れを読んでの源平海戦であったのは聞いていたが、目の当たりにすると、潮の流れは川のように激しかった。
潮の流れの順・逆で形勢が変わった、壇ノ浦の海戦も、その意味がよくわかった。
潮の流れを味方につけないと、勝利はおぼつかない。
古戦場跡は公園になっていて、八双飛びをする源義経の像、碇を担いで入水しようとする平知盛の像があって、源平合戦を彷彿とさせた。
この海で源氏の白旗、平家の赤旗をひるがえして、数千の船が入り乱れて海戦を展開した。
そして栄華を欲しいままにした平家も、海の藻屑と消えた。
「猛き者もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
人の世の権勢や栄華など儚いものだ。
平家滅亡の海に立って、感慨深いものがあった。
この日の壇ノ浦は快晴だった。
お盆に、平家終焉の地~壇ノ浦に出かけて、平家一門を弔うのも趣向があって良かろう、と思いつつ。
昔から平家物語が大好きで、壇ノ浦は、一度は行きたいと思い続けていたところだった。
下関から唐戸、赤間が関へと向かった。
平教経、知盛、資盛、二位の尼(清盛の妻・時子)・・・などが眠る、平家一門の墓を訪れて、供養にと、笛を吹かせていただいた。
真横には、耳なし芳一の祠もあった。
この場所で、芳一が琵琶で平家物語を語り、平家の亡霊が集まって、夜な夜なすすり泣いた、と伝わる所だ。
続いて、安徳天皇陵前でも、供養にと、笛を吹かせていただいた。
若干8歳で、二位の尼に抱かれ「波の下にも都のそうろう」と入水された幼帝だ。
平家一門の墓、安徳天皇陵を弔ったあとは、「壇ノ浦古戦場跡」を訪ねた。
門司と下関に挟まれた狭い海峡で、関門海峡大橋の真下にあたる。
「壇ノ浦の戦い」は、潮の流れを読んでの源平海戦であったのは聞いていたが、目の当たりにすると、潮の流れは川のように激しかった。
潮の流れの順・逆で形勢が変わった、壇ノ浦の海戦も、その意味がよくわかった。
潮の流れを味方につけないと、勝利はおぼつかない。
古戦場跡は公園になっていて、八双飛びをする源義経の像、碇を担いで入水しようとする平知盛の像があって、源平合戦を彷彿とさせた。
この海で源氏の白旗、平家の赤旗をひるがえして、数千の船が入り乱れて海戦を展開した。
そして栄華を欲しいままにした平家も、海の藻屑と消えた。
「猛き者もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
人の世の権勢や栄華など儚いものだ。
平家滅亡の海に立って、感慨深いものがあった。
この日の壇ノ浦は快晴だった。