しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

nano

2006-10-24 11:51:57 | ノンジャンル
さて、こうして僕らは毛色のちがう3つの経路を手に入れた。

(1)「Splitterecho シュプリッターエコー」(プレス版)

(2)「Splitterecho Web版」

(3)「しゅぷりったあえこお nano」(ブログ版)

(1)から(3)への流れは批評の定義の拡大に対応していると言っていい。

要するに、ユルくなっている。

マラルメがひとりで執筆・編集しつづけた「最新流行」のように、ここでは世俗のあらゆる事象が批評の対象になる。

芸術批評(これも大層な言葉だ)に限らず、テレビドラマ批評、化粧品批評、料理批評、旅行批評、書店批評…様々な批評があり得るだろう。

感想というならそれでいい。

「熟考」と「質」がプレス版の要なら、「速度」と「量」がこのブログ版の命だ。(Web版はその中間を行くものだろう。)

いや、もうはっきり、ここでは質より量が問題なのだと言っていい。

マラルメが数々の筆名を使い分けたように、この匿名のweb世界で僕らひとりひとりが「ミス・サタン」となり「ブルトンの女城主」となり、書きに書くことだ。

僕らもまた多数になるということ。

そうして指にまかせてキーを打ち続けること。

熟考の末編み出される批評が、作品をひとつの宇宙とみなし、汲めども尽きぬ豊かさをそこにみいだす作業なら、より速やかな反射運動としてアップロードされる「軽率な」批評たちは、夜空に次々と昇る暗い小さな星たちであり、それらの布置に僕らは現在の星座が浮かび上がるのを待つ。

あるいは、それらひとつひとつの砂の集積に、現在という砂漠をみて呆然とするのかもしれない。

しかし僕らが求めるのはいつでも希望だ。

かくも多くの心動かす事象があり、かくも多くの感銘を与える人々がいるということ。

希望を支えているのは、ひとつの巨大な重力、ひとつの統一原理ではなく、あらゆる水準を通じていつも、多様性である。

そして、このサイトもまた、ひとつの星だ。銀河系のオリオン腕の一角にある僕らの太陽系のように、無数の星の漂うwebの銀河に新しく参入した小さな光である。

その場所でかくも多くの事象と人々が存在することを証立てるwebという壮大な事業の、無限小の一翼を担っている。

僕らのナノ・メートルのまたたき。

それはそれでいい。

ハンドルネーム

2006-10-24 01:59:58 | ノンジャンル
私のハンドルネーム(HN)「hdk」について。
決して国営放送ではありません。
京都時代の私の家はこう呼ばれていた。
h=human
d=dust
K=名前
語源は隣の家。
8回生やって大学を除籍処分になって
でも今は九州の某町議会議員(サハ=麻雀用語)。
5回生やってパソコン触ったこともなくIT会社就職、
今や独立プログラマー(高給!)
5回生やってビデオ屋と居酒屋バイト掛け持ち生活2年、
中国留学して今は大連で翻訳業。
この3人の男が同居していた一軒家の表札は
「Human Dust Club」。
「サハ」の議員氏の所属を公に応する
漫画家Sイバラのギャグを英訳するとこうなるとか。
hdkの住人はもし今わるいことしたら職業は何と報道されるか
ちょっと知りたいワタクシ(昔Sイバラ風)
とりとめが無くなりすぎっ!!