何ヶ月ぶりだろうか…、
久しぶりにナマを聴きに行った。
コルネリア・ヘルマン ピアノ・リサイタル
2008年6月20日(金)神戸新聞松方ホール
訳あって音楽会に行くのをためらっていたのに
彼女のリサイタルに行ったのには訳がある。
友人でウィーン在住のクラリネット奏者、
ブルガー美和(日本ではブルガー高木美和として活動)さんと
コルネリアが友人で(つまり友人の友人という訳)、
しかも去年美和さんから神戸か加古川で
コルネリアと学校でレッスンや演奏会をしたいという
話が舞い込み、それを企画制作してくれないかと
頼まれたのだが、私が体調がすぐれず
企画はお流れになってしまったのです。
コルネリアが神戸に来ると聞き
速攻チケットを取りました。
演奏評の前に楽屋話を。
ホールで美和さんのご両親と会い、
終演後楽屋へ行きました。
嬉しいことにコルネリアは
去年のその話を憶えていてくれて
とてもフレンドリーでした。
記念撮影も。
ちなみにコルネリアは日本人とドイツ人の
ハーフなので日本語もOK!
来年はオーケストラ・アンサンブル・金沢と
全国?をまわるらしく
大阪には来るそうです(残念ながら神戸はない)。
はっきりいって『超お薦め』です。
さて本題の音楽会の話に。
プログラムは以下。
J.S.バッハ パルティータ第2番
シューマン アベッグ変奏曲 作品1
メンデルスゾーン 厳格な変奏曲作品54
休憩
ベートーヴェン ロンド・ア・カプリッチョト長調
「失われた小銭への怒り」作品129
武満徹 フォー・アウェイ
ベートーヴェン ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」
作品27-2
まず冒頭のバッハはその躍動感が良かった。
さすがJ.S.バッハ国際コンクールで最年少最高位を
受賞しただけのことはある。
最近チェンバロや古楽器のバッハばかり聴いていたので、
一瞬違和感があったが、
現代のピアノの性能を十分に使っての
ダイナミクス溢れる演奏も
現代のバッハ演奏として充分認められる
のではないかと思った。
シューマンは瑞々しい演奏。
今回の音楽会ではシューマンとベートーヴェンが
特に良かったと感じている。
アベッグという架空の伯爵令嬢に献呈した曲で
アベッグから「ABEGG」の音のモチーフから出来ている。
初期の作品だがシューマンの舞踊のような音楽が
ピアノから流れた。
メンデルスゾーンは主題と17の変奏で出来ている。
面白い曲だった。
ベートーヴェンの「ロンド…」はベートーヴェンらしからぬ?
面白い曲だった。
ベートーヴェン自身が「ハンガリー風に、
奇想曲(カプリッチョ)のように」
と記しているらしいが、
確かに当時言われていたジプシー(ロマ)音楽で
かつ自由に書かれている。
ベートーヴェン的には軽やかな曲なのだろうが
やはりベートーヴェンはベートーヴェン、
構築感のあるコルネリアの演奏とともに素晴らしかった。
武満徹は武満が初めて作曲したピアノ独奏曲。
コルネリアの演奏は、あくまで日本人の私の感覚としてだが
外国人が演奏するタケミツであった。
良い悪いの問題ではない。
大きくは言われないが武満はやはり日本人だ。
曲にも日本人の感性が充満している。
この曲はガムラン音楽から想を得ているようだが、
やはり根底はある意味「日本的」である。
俗に「タケミツトーン」などと言われるが、
そこに「日本人」作曲家・武満徹がいる。
そういう意味ではコルネリアの演奏は
日本人が想起する日本的「武満」ではない、
グローバル化された「タケミツ」の音楽であったように思う。
武満から間を置かずに最後の曲、「月光」へ。
私はこの曲を聴くといつもドビュッシーの「小舟にて」
(「小組曲」より)を思い出す。
と、思っていたらプログラムに
レルシュタプールという人が
「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」
と言ったことに「月光」というタイトルが出来たとあった。
ベートーヴェンがつけた訳ではないと。
初めて知ったが言い得て妙である。
この言葉がベートーヴェンと
ドビュッシーをつないでいるようだ。
この曲は俗にベートーヴェンの3大ソナタと言われる内の1つ
(後の2つは「悲愴」と「熱情」)。
コルネリアの演奏は非常に美しい。
構築感のあるベートーヴェンも素晴らしいが
私にはコルネリアはむしろ叙情的に
この曲をとらえているかのように思えた。
シューマンと並んで特に素晴らしい演奏だった。
コルネリアの演奏は全体に明るい月のようである。
明るい月を見ながら「夢だけ見てる」ような。
そんな気分にしてくれた音楽会だった。
久しぶりにナマを聴きに行った。
コルネリア・ヘルマン ピアノ・リサイタル
2008年6月20日(金)神戸新聞松方ホール
訳あって音楽会に行くのをためらっていたのに
彼女のリサイタルに行ったのには訳がある。
友人でウィーン在住のクラリネット奏者、
ブルガー美和(日本ではブルガー高木美和として活動)さんと
コルネリアが友人で(つまり友人の友人という訳)、
しかも去年美和さんから神戸か加古川で
コルネリアと学校でレッスンや演奏会をしたいという
話が舞い込み、それを企画制作してくれないかと
頼まれたのだが、私が体調がすぐれず
企画はお流れになってしまったのです。
コルネリアが神戸に来ると聞き
速攻チケットを取りました。
演奏評の前に楽屋話を。
ホールで美和さんのご両親と会い、
終演後楽屋へ行きました。
嬉しいことにコルネリアは
去年のその話を憶えていてくれて
とてもフレンドリーでした。
記念撮影も。
ちなみにコルネリアは日本人とドイツ人の
ハーフなので日本語もOK!
来年はオーケストラ・アンサンブル・金沢と
全国?をまわるらしく
大阪には来るそうです(残念ながら神戸はない)。
はっきりいって『超お薦め』です。
さて本題の音楽会の話に。
プログラムは以下。
J.S.バッハ パルティータ第2番
シューマン アベッグ変奏曲 作品1
メンデルスゾーン 厳格な変奏曲作品54
休憩
ベートーヴェン ロンド・ア・カプリッチョト長調
「失われた小銭への怒り」作品129
武満徹 フォー・アウェイ
ベートーヴェン ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」
作品27-2
まず冒頭のバッハはその躍動感が良かった。
さすがJ.S.バッハ国際コンクールで最年少最高位を
受賞しただけのことはある。
最近チェンバロや古楽器のバッハばかり聴いていたので、
一瞬違和感があったが、
現代のピアノの性能を十分に使っての
ダイナミクス溢れる演奏も
現代のバッハ演奏として充分認められる
のではないかと思った。
シューマンは瑞々しい演奏。
今回の音楽会ではシューマンとベートーヴェンが
特に良かったと感じている。
アベッグという架空の伯爵令嬢に献呈した曲で
アベッグから「ABEGG」の音のモチーフから出来ている。
初期の作品だがシューマンの舞踊のような音楽が
ピアノから流れた。
メンデルスゾーンは主題と17の変奏で出来ている。
面白い曲だった。
ベートーヴェンの「ロンド…」はベートーヴェンらしからぬ?
面白い曲だった。
ベートーヴェン自身が「ハンガリー風に、
奇想曲(カプリッチョ)のように」
と記しているらしいが、
確かに当時言われていたジプシー(ロマ)音楽で
かつ自由に書かれている。
ベートーヴェン的には軽やかな曲なのだろうが
やはりベートーヴェンはベートーヴェン、
構築感のあるコルネリアの演奏とともに素晴らしかった。
武満徹は武満が初めて作曲したピアノ独奏曲。
コルネリアの演奏は、あくまで日本人の私の感覚としてだが
外国人が演奏するタケミツであった。
良い悪いの問題ではない。
大きくは言われないが武満はやはり日本人だ。
曲にも日本人の感性が充満している。
この曲はガムラン音楽から想を得ているようだが、
やはり根底はある意味「日本的」である。
俗に「タケミツトーン」などと言われるが、
そこに「日本人」作曲家・武満徹がいる。
そういう意味ではコルネリアの演奏は
日本人が想起する日本的「武満」ではない、
グローバル化された「タケミツ」の音楽であったように思う。
武満から間を置かずに最後の曲、「月光」へ。
私はこの曲を聴くといつもドビュッシーの「小舟にて」
(「小組曲」より)を思い出す。
と、思っていたらプログラムに
レルシュタプールという人が
「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」
と言ったことに「月光」というタイトルが出来たとあった。
ベートーヴェンがつけた訳ではないと。
初めて知ったが言い得て妙である。
この言葉がベートーヴェンと
ドビュッシーをつないでいるようだ。
この曲は俗にベートーヴェンの3大ソナタと言われる内の1つ
(後の2つは「悲愴」と「熱情」)。
コルネリアの演奏は非常に美しい。
構築感のあるベートーヴェンも素晴らしいが
私にはコルネリアはむしろ叙情的に
この曲をとらえているかのように思えた。
シューマンと並んで特に素晴らしい演奏だった。
コルネリアの演奏は全体に明るい月のようである。
明るい月を見ながら「夢だけ見てる」ような。
そんな気分にしてくれた音楽会だった。