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ブログ版 シュプリッターエコー

日本の新聞記者のズルさ―鳩山論文問題

2009-09-06 19:59:00 | セイジ
 読売新聞が二日にわたって民主党の外交政策を批判する記事を載せました。
 9月3日のスキャナー欄の「鳩山論文 米欧に波紋」(3面)と、翌4日の社説「信頼構築へ言動が問われる」(3面)です。

 鳩山論文というのは、新首相になる鳩山さんが、月刊誌「VOICE」の9月号に寄稿した「日本の新たな道」のことで、そこで鳩山さんはアメリカの世界政策(グローバリズム)にただただ追随(ついずい)するばかりだったこれまでの日本外交を批判しています。
 自民党のヘイコラ外交にウンザリしてきたぼくら市民には、鳩山さんの批判はしごく当然のことだと思うのですが、その論文がニューヨークタイムズ紙に抜粋(ばっすい)で紹介され、これがもとでアメリカの日本研究者あるいは日本専門家たちの間で論議が起こっているというのです。

 アメリカの論客たちは、多くのひとが日本の国民は超大国アメリカのいうことをきいて当たり前と心の底で思っていますから、アメリカで出される意見の大半が鳩山さんを批判する形になるのは、これもまた当然のことです。

 ところが読売新聞のふたつの記事は、どうもアメリカのシリ馬に乗っているようにしか読めません。
 3日の記事はこんなふうに締めくくっています。
 「今回の論文問題はそうしたムード(執筆者注=日米外交を楽観的にみるアメリカのムード)に冷や水を浴びせる形となった」
 そして4日の社説はこう主張しているのです。
 「鳩山代表は、もはや単なる野党の党首ではなく、次期首相の立場だ。その発言の重みを自覚し、行動することが求められる」

 まるで新聞じしんが、鳩山さんのおかげでアメリカで大騒ぎになっている、エライコッチャ、とアワテフタメイテいるような気配です。
 これは、これまでの自民党のヘイコラ外交と基本的にあまり変わりがありません。
 いざというときになって、新聞も地金が出てきたようです。

 それにとてもズルいと思うのは、じゃあ、新聞記者として自立的な外交をどうとらえるか、という基本的なところで、記事がひとことも言っていないことです。
 アメリカの一部の意見と鳩山さんの論文の間に立って、自分はひとつも傷つかずに、ただ、エライコッチャ、エライコッチャとあおっているとしか見えません。
 まあ、そういう無責任なありかたが、今の日本の新聞記者の大半の姿勢ですが…。

 どうやら国が自立を遂げるためには、記者の自立も不可欠のようです。