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ブログ版 シュプリッターエコー

無限宇宙へ広がる視界―藤田佳代リサイタル

2009-12-03 19:26:00 | 舞踊
 神戸を拠点にモダンダンスの活動を続けている藤田佳代さんのリサイタルを神戸文化ホールで見ました(2009年11月3日、第10回藤田佳代作品展)。
 3年に1度ずつ、10回まで開催するという計画で進められてきたリサイタルですが、今年はその10回目になりました。
 毎回深いビジョンを放つ新作が上演され、神戸の文化にさまざまな刺激を与えてきました。
 それだけに、シリーズの終了を惜しむ声もたくさんあります。

 10回目のプログラムは「運ぶ」「日は はや 暮れ」そして「ひびく」の3本でした。
 どれも、藤田さんならではの精神性を凛(りん)とたたえたステージでした。

 「運ぶ」は、美しいマンダラが舞台に繰り広げられるのを見るようでした。
 中心に立ちあがってきた光が、あるいは命が、その周囲で踊るダンサーからダンサーへと伝わって、舞台全体に光が、命が満ちるのです。
 いかにもマンダラは、宇宙の中心に生まれる仏の光(命)が、周りの如来や菩薩によって「運ばれて」、全宇宙へ広がっていく図なのでした。

 「日は はや 暮れ」は、藤田さんのこれまでの創造の、ひとまずの集大成のような作品でした。
 延々と流れていく時間のような透明な群舞が、絶え間なく、ゆっくりと続きます。
 その流れのなかで、創造主のような、あるいは神を象徴するような、ふたりのダンサー、すなわち藤田さんと東仲一矩さん(ゲストダンサー、フラメンキスト)が、暗示的な踊りを繰り広げていくのです。
 世界の誕生と滅び、そして再生のビジョンを見るようでした。

 「ひびく」は、生の世界と死の世界の呼応を踊るようなステージでした。
 音楽は丹生ナオミさんがこの舞台のために作曲した新曲で、ピアノのナマの演奏でダンスも繰り広げられました。
 創作の舞踊と創作の音楽と、そのふたつの「響き合い」にもなったのです。

 目に見える現実の時空を超えて、視界が無限へと広がっていく、それが藤田舞踊の根底を流れる揺るぎのない方向性だと、いまやそう確信していいでしょう。

 これでリサイタルの計画はひとまず完結しましたが、作品はこれからもまだまだ作られるはずですし、さらに深くなっていくでしょう。
 新たな期待が生まれます。



 なお、特に「日は はや 暮れ」に焦点を当てた評論を本ブログの姉妹ページSplitterecho(シュプリッターエコー)Web版に掲載しています。Web版は http://www16.ocn.ne.jp/~kobecat