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ブログ版 シュプリッターエコー

古村先生のひと言…憲法の日に

2015-05-03 13:15:00 | 社会
 中学3年の社会科の担当は古村先生でした。
 どちらかというと単元をたんたんと教えていくクールなタイプの先生でした。
 その先生が一度だけ気持ちを表ににじませて語られたことがありました。
 憲法がテーマに出てきたときでした。
 このように言われたのです。
 「前文と第9条、この二か所は空(そら)で言えるようになってもらえると、ぼくはとてもうれしいね」

 瀬戸内海に浮かぶ小さな島の学校でした。
 漁業と農業と造船業が産業で、まだ大半の生徒が中学校だけで学業を終え、その多くが就職列車で大阪へ旅立っていきました。
 憲法などまったく遠いところにあるもので、ほとんどの生徒が聞き流しただけだったと思います。

 ただ、旧海軍の基地があった呉から転入してきた生徒がぼくの友達仲間にいて、どういうわけかかれが本気で前文から暗記しはじめたものですから、ぼくもつられて憶えました。
 通学の小さな巡航船に乗るたびに、教科書の資料のページを開いては、何度も読み返して憶えました。

 憲法の前文と9条の戦争放棄の条文が試験に出てきたことなんかまったくありませんでしたから、それで得をしたことは残念ながらついになかったというわけです。
 けれど、大学に入って憲法と正面から向き合うこととなったとき、いつのまにか日本国憲法の核心部に深くなじんでいる自分に出遭って、すこしばかり驚きました。

 憲法の草案を書いた中心的な人たちが、アメリカ政府の官僚たちというよりも、むしろ理想主義を担ったアメリカの若い研究者たちであったこと。
 かれら研究者たちが、自分たちのめざす人類の普遍の理想をこの憲法に入れるために、労を惜しまず献身的に働いたこと。
 それら憲法成立の背景もこの大学時代に知りました。

 おそらく古村先生もそうしたことをすでにご存じだったのでしょう。
 日本一国のことを超えて、世界の理想としてこの憲法を起草した、それら若い学究者たちと同じところにおられたのだと思います。
 その理想と、そしておそらくは誇らしさがあってこそ、あの日、ぼくたちにあのように率直に思いを語られたのではないでしょうか。
 ご自分が信じる希望をそっとぼくたちにたくされたのです。

 いかにもぼくたちの憲法は世界の未来を描き出している世界のかけがえのない財産だと思います。
 この国にこの憲法があることで世界のどれだけの人びとがこの地球を生きるにあたいする惑星とみているか、それははかりしれません。
 この憲法にはまだまだすることがあるのです。
 簡単に死んでもらってはこまるのです。

 そんな古村先生のことをふと思い出したきょう5月3日、憲法記念日なのでした。