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中島徳博さんをしのぶ会―美術兵庫の発展の陰で

2009-07-05 22:55:00 | 美術
 兵庫県立美術館の学芸員として活躍し、今春急死した中島徳博(とくひろ)さんをしのぶ会が美術館隣のレストラン・ハイジアで開かれました(7月4日)。

 中島さんは同館の前身・兵庫県立近代美術館の開館時(1970年)から、学芸員として展覧会の企画やコレクションの収集に力を尽くし、とりわけ今日の県立美術館への飛躍期には学芸課長(館長補佐)の重席で準備から開館まで中心的な役割を果たしました。

 公立の美術館がまだ現代美術を採り上げるのに躊躇(ちゅうちょ)していた70年代に、兵庫県立近代美術館が全館あげて「アート・ナウ」の開催に乗り出したのは、中島さんの先見の明があってのことでした。
 今の神戸が、現代美術のうねりの中で特異な熱気をもっているのも、ここに一つの重要な要素があるでしょう。

 ひとびとがあまねく認める寡黙(かもく)の人で、一見“孤高”の雰囲気を持つ人でしたが、若手の作家、無名の作家にも深い目配りをした人で、地味な個展にも労をいとわず足を運ぶ人でした。
 そっと訪ね、そっと立ち去るという、寡黙なスタイルは、ここでもまったく同じでしたが…。

 「中島徳博さんをしのぶ会」には、その人柄を反映して130人もの美術館関係者や作家、研究者、美術商、美術ファンが集まりました。
 黙祷を捧げたあと、61歳という早い死を惜しみながら、それぞれの思い出がしっとり語り合われたのでした。

 総合的な現・県立美術館への移行期の激務と心労が死を早めたろうというのがおおかたの一致した見方でしたが、兵庫の美術状況の飛躍的な発展の陰で、そのように心身を捧げた学芸員があったという、その尊さをしみじみと認識する意味深いひとときとなりました。

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