知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

友人の裁判公判が久々にありましたが・・・

2017年06月01日 | Weblog
この裁判・・・

内容的には、すでに2年は経過していると思いますが、一応様々な方面からの見方をされ、いろいろな資料が提出されたようです。


実質、前回の裁判長からの示唆で、原告側の子供の鑑定も行われ、(まあ、それが被告側にはあまりいい方向性ではなかったのですが)少しは裁判内容も深まった感じはありました。





今回、(昨年の夏以来になりますが)久々に公判が開かれ、傍聴に行ってきました。

当然、仕事はお休みをもらっています。(施設の所長には、現在までの経過を説明しました)




直前に、被告人である友人から、「今回の公判は書類整理的な事務手続きで終わる可能性が高い」旨を伝えられ、実際に裁判公判が始まると、弁護側検察側両方共、何の話もなく、裁判長が経過を簡単に説明し、次回への布石を述べられただけでした。


いつもは2時間は行われる公判でしたが、友人の事前の話通り、20分程度で終了。


こんな流れならば、双方(弁護士・検察・裁判官)で打ち合わせを行えばいい話なのでは・・・?と素人的に思いました。(全く傍聴席を無視した感じです)


おそらく、傍聴に来ている方も、(私のように)仕事を休んで来られている方もいると思います。内容のない公判なんて、開く意味は・・・?


次回は、この事件に関する医療側の見識を審議されるようですが(直接の医師ではありません)、おそらく検察側・原告側の有利な部分が多くなる予想です。



次回は珍しく早い展開で、12日なんですが、すでに今回休みをいただいているので、次回は傍聴参加出来ない可能性があります(小規模作業所なんで、職員数が少ない)。




ただ、この展開の早さは、検察側からの意向か、裁判所側の意向か分かりませんが、早くこの裁判を終わらせようという意図が感じられます。弁護側の準備が十分出来ないことがありますね。








それ以上に、今回の公判で異常に感じたことは、裁判官(3人おられました)が全員交代したことです。

確かに、裁判官も公務員であるため、異動等で交代もやむなきこともあるとは聞いています。しかし、その場合は、今までの裁判経過を考慮して、3人のうちの一人を残す等の処置をされるべきだと考えます。


特に今回の公判では、前回の裁判長からの示唆での鑑定結果があり(これは前回の投稿で書きましたが、弁護士や被告だけには伝えられていたようです)、それも結局、何もなかったかのように次の裁判官に引き継がれているようです。



裁判というものは、TV報道でもよくありますが、裁判長等の心証にも変化が生じることもあり、そのために様々な証言や証拠が提示されるはずですね。


今回、少しは明るい方向性が見え始めた感じもありました(まあ、鑑定結果が今一でしたが)。



裁判官が途中交代する・・・というのは、司法上全く問題はないのでしょうか?



世間での大きな事件は、あまりそういった傾向は見られない(まあ最高裁になると、国民審査があるため、簡単に交代は出来ないでしょうが)と思いますが、地方裁判所クラスだと、こういう事象は常に起こりうることなのかな?と大きな疑問が生じました。



もちろん、事前に交代の際に、今までの経過等、文書的にも口頭でも?引き継がれているとは思います。(もし事務処理だけだったら、腹が立ちますね)




今回の交代された裁判長は、今回の裁判内容で、証拠として挙げられていたDVD等の心証を左右するものは、一切見ないとの意向を示されました。(それは考え方の問題で、逆にすべての資料や証拠品・文書等、また証言等も含め、目を通しての(自身としての)心証を得てほしい部分もあります。

つまりは、今までの文書のみで判断する・・・という意味合いなりますね。(事務処理での裁判に・・・?)





裁判というのは、実際 当の本人(原告であろうと被告であろうと)人生を左右する事件なわけですね。

いくら裁判官が公務員とはいえ、簡単に異動や任期等で異動が行われるのは、一般の国民、裁判を真剣に争っている当事者からすれば、非常に小馬鹿にされたような印象を持ちました。


時間をかけて、証拠を集めたり、証人を探したり、事実を探り当てる努力は、そんな簡単なことで、軽く扱われるものなんでしょうか?



実際、被告人である友人も、こんな事件の当事者にされ(全く無実なのに)、すでに罰を受けているにも関わらず、再度法廷に立たされ、(検察側の)嘘の証言がなされ、原告側の子供は(すでに)施設を退所し、実家である(地元)関東圏へ戻っています。

もちろん、こういう事件のこともあり、受け入れてくれる施設は存在しないと思います。(今後もないかも・・・)




友人は、退職しても(元の法人・事業所が裁判を理由に)退職金も支払わってもらえず、苦しい生活を送っています。30年以上、彼が貢献してきた施設側は、全く冷たい対応をしています。
原告の子供が発した(嘘の言葉)「あの人が切ったんだ」(実際はそんな事実も、証拠もありません)が、人の人生を狂わせ、悲惨な人生を歩ませることになるとは・・・。



原告の子供は、成長して、自身の発した言葉の重さを感じるときは来るのでしょうか?保護者の方も、施設に入所出来た感謝の気持ち(地元で受け入れてもらえなかったのに)は全くなく、裁判を起こして、どうしたかったんでしょうね。



今回の件で、司法側の仕組みの疑問と同時に、現在の障害者の方の発言を重視する意味合いを、改めて考える機会になりました。









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