知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

世間の理解が全く変わらない・・・

2020年11月10日 | Weblog
過去に、障害者施設の大きな事件として、「甲山事件」があります。


有名な事件なので、「甲山(かぶとやま)事件」で検索してもらえれば、たくさん出てくると思います。

一番分かりやすいサイトとして、ウィキペディアを見ると、こう書かれています。
「甲山事件とは、1974年に兵庫県西宮市の知的障害者施設・甲山学園で園児2人の死亡事故が発生したことに端を発する一連の事件。事件に関して起訴された者の全員の無罪が確定した。」


実は、裁判では関係者は全員「無罪」ということで、この事件は”解決”ではなく、それ以上の解明は終わりました・・・的になっており、結局事件の真相は、闇に葬られた感じですね。


この事件が起きてから、すでに半世紀近く経過していますが、当時の障害者に関する制度等は、大きく変わってきています。

また社会の受け入れ方も、随分変わりました。


ただ、人の認識や理解は、ほとんど変わっていない・・・というのが本当です。


これが、一般の方々なら、ある意味仕方がない、正しい理解が広まっていない、我々関係者の努力不足・・・等、いろいろ考えられますが、一番の問題は、事件になった場合の裁判での、裁判をする側の人間や弁護をする側の人間の認識や理解が、半世紀前の当時とほとんど変わっていないことです。


それは、私が友人の裁判(数年前)で感じたものです。


この事件の当時も、「障害者はそんなことをしない」的な漠然とした間違った認識(思い込み)があり、それが結局、職員が悪い・・・という結論になり、マスコミを中心に世間が職員を悪者扱いした・・・という経過があります。

何十年も経って、それは違いました、「無罪」でした・・・と言われても、遅いですね。その方の人生は無茶苦茶ですから・・・。
※冤罪の事件は、ほとんどこういうパターンですが・・・
(マスコミは世間を煽るだけ煽って、結果は知らぬ顔・・・謝罪もない・・・そんな無責任な状況が未だに続いています)


私の友人の事件でも、裁判官は「障害者(障害児)は嘘をつかない」が前提で、裁判が進められてきて、結果は「有罪」(執行猶予付き)でした。

その際に、頑張っていただいた弁護士の方も、障害者の理解が足らずに、私や周りの方が「重要な部分・・・障害者の本質」を説明しても、分かってもらえなかったことを思い出します。

例えば、その事件の被害者の方(障害児)が、過去にどういった言動や行動をしていたか?を探る必要がある・・・と(裁判初期に)伝えたのですが、全く聞き入れてもらえませんでした。
(そのとき感じたのが、ただの施設職員が、弁護士に何言ってるんだ・・・的な雰囲気がありました)


なぜ、世間の理解や正しい認識が得られないか・・・?

それは、マスコミの影響も大きいですし、対応している施設職員にも責任はあると思います。

専門知識を得て、仕事をしている方々は、「分からないだろうけど・・・」的な意識でやっている方も多く、専門家的な用語を頻繁に使ったり、私はしっかりやっている・・・的な態度も感じます。
(私の元職場も、そんな方がいました)



世間で、例えば町の中で、知的障害者に出会った場合に、どんな感覚を持ちますか?

比較的、身体障害者の方に対する対応は、分かりやすくなってきた傾向がありますが、知的障害者の場合は、場面を同じにすることに、とまどいや軽い拒否感があると思います。それは「分からない」からで、次の行動や自分たちと違う感覚を強く感じるからだと思います。


障害者の保護者の方々は、熱心に活動されており、世間の理解を得ようと頑張っておられます。そのため、過去ほど、障害者の身内を持つことに対する絶望感(悪い言い方です)も、少なくなってきたと思います。

私が知っている保護者の方々は、前向きな方が多く、ある意味、そういった方々がいることで、多少とも気が楽になっています。



未だに、マスコミは8割がたが、興味がない、理解したくない、世間はそんな話題は求めていない・・・そんな状況です。


地元に、関係する記事をお願いしても、あまり関心を示してもらえません。



今日は、このあたりで終わりますが・・・

この業界にいると、一般社会とは違った世界で活動してるのかな?と感じたことも、しばしば・・・。


せめて、政治家や行政側や、特に裁判関連の関係者の方は、理解していただきたい・・・そう思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする