つい先日、大学センター試験が行われた。
この試験を受けるほどの人たちは、まあ、「教育格差」と言われる現在の日本にあって、上層部に位置するのであろうが、
少し前の信濃毎日新聞では、いわゆる偏差値の低いとされている高校ほど、授業料免除を受ける生徒の比率が高いという調査を報じていた。
いわゆる進学校に通うような生徒の家庭は、親の教育への関心も高く、成績をあげるための塾通いの費用を出せる余裕がある、その結果としての、上位校進学という厳然たる事実が、今更ながら明らかになったということなのだが。
収入の低い家庭では、その日をしのぐのが精一杯。とても子供の教育に関心を寄せる余裕がない。
その結果、学習意欲が低下し、わからなくなったからといって、それをすくい上げる塾とか、家庭教師に頼る余裕がない。
それでも高校へ行かなければ、まともな就職もできない今日、少子化で、高校の定員に余裕があるので、とにかく高校へだけはみな行く。
自分が高校時代の授業料がいくらだったか忘れてしまったが、公立高校の授業料はごく安かった、と思う。
その後、年々授業料は上がって、今はいくらなのか。
学生生活を送るには、授業料さえあればいいのではなく、その他もろもろの費用もかかる。
こうして収入格差が次世代の教育格差を生んでいく。
ところで、ここから私が言いたいのは、格差の上にいる人間が、いわゆる学校勉強をして、世の中に出て、その学校勉強が役に立っているかどうか、ということだ。
一番わかりやすいのは、官僚というか、役人の仕事だ。
農業、医療、社会保障、治山・治水など、役人が机上で計画を立てた事業で、うまくいっているものがあったら教えてほしい。
ことごとく、実際の現場で裏切られ、その底の浅さが露呈する事例ばかり、のように思えるのだが。
なぜか?実際に現場で仕事をしている人たちの意見に謙虚に耳を傾けないからだ。
まれに軌道に乗っているものがあるとしたら、それは、珍しくも役所の担当者が、現場の意見に沿って、計画を軌道修正した結果だ。
なぜ、こうした「机の上仕事」の好きな、というか得意な人たちは、かくも傲慢なのか。
学校の勉強などというものは、できないよりできたほうがいい、知識はないよりあったほうがいい、という程度のものだ。
たしかに普通の人ができないような、専門的技術を持つことは(例えば医師の仕事など)、できないよりできたほうがいい、というレベルではないが。
私は、まず男も女も人間として、生活者として自立することが一番の基本だと思う。
掃除や洗濯、炊事といった家事をしない者に、役所で環境やゴミ担当をさせても、現実と合わない政策が出てくるばかりだ。
家事はともかく、全ての現実を体験することができないからこそ、現場で、汗を流して、どろやほこりにまみれて仕事する人の意見を尊重すべきなのだが。
進学校に通い、偏差値の高い大学に進学し、それでエリートになっても(その間、生活に関わる日々の仕事を親が引き受けているような状態では)、半人前だということを自覚しなくては。
そうすると、日本の半分ぐらいの男達は、半人前ということかな?近頃エリート女性と言われる人にも、そういうの増えたような気がするが。
そういう私が、特別生活者として優れているわけではないが、とにかく自分のことは自分でやってます。あったりまえ。
では、勉強はできないままでいいか、というとそんなことはない。
勉強のできる、口の上手い奴にだまされないようにするための知識は必要だ。
だまされない人が多くなると、エリートだなんて、威張っている一部の人間は真っ青ですね。
そうならないように、懸命に暗躍しているわけですが。