木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

若者の政治参加のために何が必要か

2009年04月17日 | Weblog

先週、職場の「パワーハラスメント」に附いて書いたが、これはいわゆる営利企業だけでなく、数字や目に見える成果だけではかることを一番いましめなくてはならない「教育の現場」でも起きていることを「週刊金曜日」4月10日号で、ジャーナリストの平舘英明氏が報告していた。
新任の教師にとって一番必要なのは管理職や先輩教師のサポートなのに、待っているのは管理職と呼ばれる校長や教頭によるいじめである。年間指導計画とか週ごとの指導計画といった書類提出も待っていて、しかも何度も書き直しを命じられる。それがうまくできないと「無能呼ばわり」される。
担任した生徒に向き合うより管理職のおメガネにかなう努力がまず求められる実態が報告されていた。当然長時間労働となり、ヘトヘトになって、一ヶ月ほどで休養を余儀なくさせられてしまうケースも。
私もかつて小学校教育の現場にいたことがあって、今思い返してみても決して有能とは言えなかったが、それでも病気になることもなく、十年ほど勤めた。今、学校という職場は随分様変わりしているようだ。
平舘氏によると、89年に「初任者研修制度」が導入され、新採用教員の条件付き採用期間が以前の6ヶ月から1年に延び、その間に評価が悪ければ「自主退職」が強要されるという。評価を行うのは校長である。恣意的な評価に陥る危険をはらんでいる。
つまり、従順で、適当に要領が良く、いろんなことに疑問を持たず、目の前の課題をさっさと片付けていくタイプが「お気に入り」として評価されるであろうし、校長にとって「管理しにくいタイプ」は排除の対象になっていく。
また02年から導入された「指導力不足教員認定制度」が条件付採用期間制度の厳格な適用に拍車をかけているとも。
新採用教員の中から「指導力不足教員」を摘発することが教育委員会や管理職のノルマにさえなっている現実もあるという。
今、学校はいじめや学力格差、経済危機による家庭崩壊に直面する子供達の存在など、解決していかなくてはならない問題が山積し、それに対して知恵を発揮して行かなくてはならない時なのに、教師は疲れきって、あるいは自分の領域だけを守って、校長や教頭は教育委員会の顔色ばかりうかがうというのでは「お先真っ暗」。子供達がかわいそう。更に少子化が進むだろう。
この公立学校教育の現実と連動していることに「若者の政治離れ」という現象があると思う。
学校では政治の制度に附いては触れるが、政治の可能性やダイナミズムを語ることはない。宗教についても同様。だからカルト宗教にすぐ取り込まれてしまう。

政治に関心を持たない、政治に無知な若者は選挙に行かない。その結果、中高年が自分達に都合のいい政治ばかりして、若者にそのツケを回している現実。
ただ、自分の若い頃を振り返ってみると、私自身は政治に関心があったので、棄権するということはまずなかったのだが、政治に関心のない、いわゆるノンポリの人たちは、投票に行かなかったんじゃないかなと思うし、いわゆる過激な学生運動をするような人たちは「議会制民主主義ナンセンス!」と叫んでこれまた選挙などボイコットしていたと思う。
しかし今はそんなことしてると、とんでもない世の中にされてしまうので、若い人に投票行動を起こしてもらわないといけないのだが。
その場合、現在の選挙制度は、お金や権力を持たない普通の国民にとってまことに都合の悪い制度になっている。
国会議員選挙の小選挙区制度は既得権者に都合がいいし、公職選挙法もまた金持ちと既得権を持った者をひたすら守るものになっている。
「攻める」ことをしばるための法律だ。
地方自治体の首長や議員を選ぶ選挙もまた、どこかの知事が詐称した政治的に「完全無所属」な者にとっては、誰がどんな主張をしているのかよくわからないまま、それこそアッという間に投票日が来てしまう。
明治時代の帝国議会以来の既得権者の政治が、法律によってずっと守られ続けている。
それに風穴を開けるかもしれないのが「インターネットを使った選挙運動」だ。これを解禁させられれば、「将来ある若者ための政治」の実現が可能になるのでは。

コメント (6)
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