木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

ベーシック・インカムと派遣・下請け・外部委託

2009年04月05日 | Weblog

北朝鮮の人工衛星なのか、ミサイルなのか、に附いてどう考えるのかということを自分なりに持っていなければならないのだが、私にはどう考えていいのかわからない。
北朝鮮の核問題やミサイルについて、なぜか全然関心が持てない。

ベーシック・インカムという考え方。
労働と関係なく全ての人に無条件で保障する所得。
「派遣切り」だ「派遣村」だと社会問題になっている今の時代だが、まともに職に就けない人たちが増加する一方、そういう人たちに対して、「努力が足りない」、「すぐ辞める」という批判が必ず浴びせられる。
経営者とか勝ち組と言われるような「成功者」からだけでなく、普通に働いている人や、過去の比較的いい時代に働き盛りだったリタイアー世代からもこうした批判が聞かれる。
それは部分的にはそういう事態もあるかもしれないが、私はこうした批判には組することはできない。
人間が労働力として、資本の奴隷になる生き方から逃れたいという気持が「根性のない若者」の根底にあると思う。
今やその気分は若者だけのものではないが。
いつも明るく前向きに、周囲の人間とのコミニュケーション能力にも優れ、その場の空気を読んで融通を利かせる、そんなことを当たり前のように求められてもどれほどの人がそれに答えられるだろうか。
求める側は、自分がそうでなかったことは忘れている。
そんな「労働市場から撤退する自由」それを保障するのがベーシック・インカムだ。
その財源はというと、所得税、消費税、環境税などが考えれるという。
個人に保障するので、いわゆる所得控除の中の人的部分(配偶者控除、扶養控除等)は必要がなくなり、この部分は財源に回る。
こんなことをしたらみんな怠け者になって働く人がいなくなるという風に考えるかもしれないが、しかし人は生活が保障されていれば、自分らしい、市場に縛られない仕事や働き方を生み出す可能性の生き物ではないだろうか。
日本の政党でも田中康夫が代表を務める「新党日本」がこの考え方を主張し、共産党、社民党も「ベーシック・インカム」的なものを政策の中に取り入れている。

「ベーシック・インカム」と少し関係があるかもしれないが、今日本の職場を覆っている「派遣」、「下請け」、「外部委託」という仕事の仕方、させ方、これではきっと経済活動は先細りしていくだろうなと感じた場面があった。
私は城下町松代でボランティアガイドをしているが、案内を頼まれて松代城跡に行くと、ちょうど映画かドラマか時代劇の撮影中だった。
スタッフのカードを下げた女性に「何の撮影か」聞いたが、「お手伝いだからわからない」という返事。
自分が関わっている撮影のタイトルも知らない。おそらく下請けのアルバイトか何かの人だったのだろう。
別の男性のスタッフは題名は教えてくれたが『花のあと』という映画だそうだけど、どんな内容かは知らないようだった。
今の映画やドラマ作りの世界はこんなふうに下請け・分業でやっているのだろう。効率・コスト削減の名の下に。
撮影に関わるスタッフ全員がこの作品の中身を知っていれば、そこにいる人に「こういう映画だから、公開されたら見に行ってね」と宣伝することもできるのに。スタッフがこんなバラバラな映画では観客動員が思いやられる。
宣伝は宣伝と思ってるかもしれないがそういうものではない。
他の仕事もこんな感じになっているのでは。一体感を持って仕事するということが減っている。そして成果だけが求められる。疲れていくのも当然だ。

コメント
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