木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

予断捜査と裁判員制度

2009年04月24日 | Weblog
和歌山カレー事件と裁判員制度。
「和歌山カレー事件」の最高裁判決が出た。林真須美被告に「死刑」の判決が下された。
しかし、この事件には確たる動機が不在だと言われてきた。
林被告はこの新興団地で、地域の約束事などを無視する「目障りな存在」ではあったが、しかしそれだけで、夏祭りのカレー鍋に致死量の砒素を入れて殺人を犯すというのは動機としては飛躍のしすぎだ。
それに林被告は逮捕されてから一貫して無実を主張している。警察に逮捕されると、そんなことに初めて遭遇した人は、警察の「攻め」に抗しきれずウソの自白をしてしまい、その後一転して無罪を主張する場合が非常に多いのに、彼女はその罠に落ちていない。
彼女が犯人だと考える人たちはこれをしたたかと見るだろうが、一方やっていないからやっていないとがんばれるのだろうという見方もできる。
状況証拠だけのこの事件で、最終的に死刑が確定しても、法務省は死刑執行はできないでしょうね。
誰かが「夏祭り」のカレー鍋に砒素を混入させた、それは事実だ。何のために?多分、嫌がらせのために。殺人までは考えていなかった?誰が食べるかわからないのだから。そこの住人が食べるのだろうけど。
この中毒事件が発生した時、医療関係や保健所の対応が適切でなかったとも言われた。
砒素中毒だといち早くわかれば、犠牲になった人は死なずに済んだのではという論文を読んだ記憶がある。
「夏祭り」を疎ましく思っていた人たちがいた。新興住宅団地の帰属意識を高めるために始まったものだろうけど、地域の役員になった人にとってはわずらわしいと感じる人もいただろうし、これから役が回ってくる人の中にもそう感じる人もいただろう。
かつてはシロアリ駆除の仕事をしていたものの、その時は夫のほうは無職で、妻は保険レディではあったが、地域で一番目につくような大きな家に住んでいた林一家。後に保険金詐欺は認めたこの夫婦を「胡散臭い人たち」と、テレビのワイドショーを通じて日本中の人たちが思い、私もそう感じた。だけどカレー鍋に毒物を入れて殺人を犯すというところに行くには飛躍ある。
こんな事例の場合、裁判員に選ばれた素人は、ワイドショーやプロの司法関係者の巧みな誘導に乗って、重大判決を下してよいのか。
裁判員は一審判決にかかわるだけというが、一審判決を尊重するというのが司法の慣例だという。よほどの新証拠がない限り、最初に出た判決は覆さない。お互い同僚や先輩の間違いを指摘したりするのは避けたいし、避けるというのが、組織の中で生きる人間の習性でもある。そうしない者はその組織の主要な局面から排除されていくのだ。
コメント (2)
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