木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

大地震はいつでもどこでも。原発はやっぱり即廃炉。

2011年07月02日 | Weblog

長野県松本市で震度5強の地震があった。
いつでもどこでも地震は起きる。そのことを考えれば、「原発即廃炉」の手続き・工程に入るのが、辛うじて日本が、そして地球が救われる道だ。
七月に入って「節電」、「サマータイム」が本格始動し始めた。
節電と、原子力以外のエネルギーに転換して、徐々に廃炉という耳ざわりのいい、誰もが受け入れられそうなやり方では、いつ、どこで起きるかわからない地震には対応できない。
私たち国民は、今回の「福島原発事故」で、原子力発電の仕組みの一端を初めて?意識させられたという気がする。
大量の冷却水が必要で、電源が失われれば、冷却水の循環が止まり、原子炉は熱を持ち暴発する。そして放射能汚染物質は原発の構内にあふれ、といっても目に見えないのだが、作業しようにもこれを」拒否する。
そして原子炉を納めている建屋が爆発したので、汚染物質は空気中に放出され、福島だけでなく、関東方面にも流れていった。
それなのにまだ原発を維持しようとする政治家、経済人、官僚。「原発事故」による放射能汚染が、他の災害や公害と違うところは、必死に原発維持に固執する利権の亡者達にも確実に被害を及ぼす点だ。
維持派はほぼ50代以上の親父、たまにババアも、だから身体に異変が起こる前にこの世を去っていくだろう人達だが、その連中にも子や孫はいるだろうに。自分の子孫がどうなってもいいのか。
そう考えると正気を失っているとしか思えない。そうした狂気の人間からは何かを決定する権限を取り上げるしかない。
それは私たち国民の仕事だ。デモもよし、当局に押しかけるもよし(たとえ門前払いを食うとしても)、抗議の電話、メール、投書も必要。
何もしないと、それは容認と解釈される。
選挙まで待っていられない。たとえ選挙をしても今の小選挙区制では、無能・無責任、政治的信念も哲学もないのに、権力欲・名誉欲だけ強い者が当選するだけだ。
節電に努めながら、多様なエネルギーの供給を考える時、何といってもエネルギーの地産地消を進めたい。そうして東京は東京で自前のエネルギー供給を考える。離れた福島や新潟から送電するようなことが不可能になれば「東京一極集中」は崩れていくはずだ。
最も東京の高層ビルなどは自家発電の設備を備えているそうだし、火力発電所は東京湾にも立地しているというから、その供給力で持ちこたえられる町づくりは可能だろう。
「反原発」の理論家である広瀬隆氏や原子力の研究者の小出裕章氏は、二酸化炭素の排出が即地球温暖化の主因とは言えないと言っている。
原発の売りは「地球温暖化の原因である二酸化炭素を排出しない」だった。実に馬鹿馬鹿しい。放射能汚染物質を排出していては何にもならないはずなのに。

いろいろなエネルギーの可能性、小規模水力発電、太陽光、地熱、バイオマス、そして当面最も稼働率が高く、現実的なのは広瀬氏によると、天然ガス利用の火力発電だという。
その土地、その土地に合ったエネルギーを組み合わせ、時に融通しあい、蓄電技術をもっと高めていくというふうに可能性のあるやり方はいくらでもある。
電力の地域独占が諸悪の根源だったことを、「原発事故」が明らかにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする