木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「脱原発」が国の政策になるまで菅直人で。

2011年07月10日 | Weblog

無能な者ほど大臣の椅子に座るとそっくり返って威張り散らす。
そんな姿を国民の前にはっきりさらした松本龍復興大臣。
メディアを入れてのあの横柄な態度には驚いたが、実はあの手の政治家はこの松本だけでなく、他にも大勢いるという。
それを今まで中央の大手メディアは伝えて来なかった。
今回大臣の言動をテレビメディアに乗せたのは被災地地元の東北放送だった。
東北放送が放映しただけではこれほどの騒ぎにはならなかった。この場面がYOU-TUBUに投稿され、日本全国の人々の知るところとなり、中央メディアもオフレコ状態にしておけなくなり、全国放映され、「けしからん!」ということになっていった。
「九州の人間だから」とか「B型だから」とか、政治家とは思えない言い訳をしたらしいが、九州、とりわけ福岡あたりから選ばれてくる国会議員は麻生太郎といい、この松本龍といい、レベルが低すぎる。
国会は与野党とも「菅やめろ、菅やめろ」の大合唱で、復興大臣も引き受け手がなく、イヤイヤ引き受けたのがこの松本大臣。
自分の都合だけで動く菅総理には誰も付いていく人がない。
だけどこのところ、私は不思議なことに「菅総理やめろ」と思わなくなってしまった。
菅首相がやめても、今の与党国会議員の中から次というと、これは更に悪い結果になる。
菅直人は、総理になった当座、TPP導入や消費税率引き上げで、アメリカや財界にすりより、総理の座を確固たるものにしようと動いた。
財界やアメリカはこれを歓迎はするものの、菅直人を自分達の仲間として信用したわけではなかった。やはり「市民活動出身の政治家」というわけだ。
菅直人の「市民活動」は政治家、そして首相になるための「方便」だと思うが、市民活動を方便に使うくらいだから、せっかく射止めた首相の座を維持するためには「脱原発」も方便に使う。
ここで、原発推進・維持を止めることができれば、政・官・財の癒着の一端を切り崩すことになるわけで、菅総理が原発再稼働を言わない限りは菅直人でいいんじゃないかとさえ思えてきた。
「脱原発」が動かせない国の選択になってから「菅」を捨てればいい。
この夏を乗り切れば、「原発は必要だ」という声は、福島事故の最初にメディアに出てきて「大丈夫だ」と言っていた専門家が、このところ登場しなくなったように、主要メディアから消えていくと思う。

ウソツキ東電とヤラセの九電。
東電は福島事故前からウソと隠蔽で固めた組織だったが、九電もまた玄海原発再稼働に向けた説明会に再稼働賛成の意見を送るよう社員や下請けに指示していたことが発覚した。
こうした体質は、あらゆる組織のものであり、他の電力会社も同様だとは思うが。
しかしこれでもう、「原発がなければ困る」という意見を寄せるのは「電力会社の回し者」ということになった。
謝罪会見で、はっきりしない九電社長にメモが廻ってきた。会見するのが神輿にかつがれている「表の社長」ならメモを指示したのが「裏社長」=実権者か。
東電もそんな仕組みになっている。
原発立地の町玄海町は、福島事故の終息も見えないのに、町長は九電に「原発再稼働」容認を伝えた。
玄海町は、この町長の一族が経営する「岸本組」という企業に町ごと乗っ取られている。
原発が動くことによる経済活動の多くをこの岸本組が請け負っている。
隣の唐津市の人達(原発資金の直接の恩恵を受けていない)が、「玄海原発」の危険性を訴えても九電も佐賀県も聞く耳を持たなかった。
いったん事故が起きれば玄海町以上に人口の多い唐津市が直撃される。そのことが今回の福島事故ではっきりした。
それなのに玄海町の容認だけで再開することへの周辺の自治体の不安と反発は高まっていた。
唐突に出てきた「ストレステスト」の実施に反発したという形を取って、「原発再開承認」はしないというふうに変わったが、実は佐賀県知事ともども、玄海町以外からものすごい反発が来ていたのではなかったかと推察している。

コメント
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