オウム真理教が引き起こした事件で「指名手配」されていた最後の容疑者高橋克哉逮捕。
私は宗教に殆ど惹かれないタイプの人間なので、オウム真理教のような荒唐無稽、デタラメな教義ともいえないほどのレベルのものに、学歴もそれなりにある人達がのめりこんでしまった理由があまり理解できない。
母がクリスチャンだったので、キリスト教には一定のシンパシーは持っているが、それでもキリスト教にもさまざまな宗派があって、アメリカの保守層が信じているようなキリスト教は「オウム真理教」と同レベルだと思うし、そう考えると、そういう宗派を生む要素のある「キリスト教」そのものも疑ってみなければならないと、この頃は思っている。
新左翼運動の最後の極点とも言うべき「連合赤軍山岳リンチ事件」について本を読んだり、書いたりしたことがあるが、共に殺人にまで至ってしまった「オウム真理教」との共通項は、「同質の隔離」という点だろうか。
連合赤軍は「国家権力の末端」と位置づける交番を襲い、警察官を一人一人殺害していくことを「連合赤軍兵士の使命」と位置づけていて、その愚かな過激さゆえに町なかに居場所をなくし、山中に拠点を置いた。
オウム真理教も山梨県の冨士山麓?にこちらは連合赤軍の山小屋とは比べ物にならない大規模な「サティアン」と称する施設を設けた。
仲間しかいない場所では、自分達だけに都合のいい妄想をどんどんふくらませていく。
連合赤軍の場合は栄養不足と厳しい山の環境の中で、疑心暗鬼がたった20数名ほどの仲間内に向けられていったが、オウムの方はその狂気が外部の彼らが考える無自覚な人々に向けられていった。
しかし両者を極端な例として私たちは嘲れない。
なぜなら「原子力村」と揶揄される同質集団にいる学者や技術者や行政官達はその無能・無責任ぶりが明らかになっても今までどうりのことをしようとし、またできると思っている。正気じゃない。
「国民のため」と叫びながら、国民のためにならない「原発再稼働」や「消費増税」を強行する政府首脳と、自分の議員の地位だけを確保したいために右往左往するだけの国会議員は「永田町住人」というこれまた同質集団だ。
永田町に住んでいる限り、国民を踏みつけにしても「わが世の春」が謳歌できるような気でいる。
「原子力村」や「永田町」だけではない。私たちもあらゆる組織で知らず知らず「同質集団」を形成し、異質なものを見ようとしない傾向にすぐ陥る。