満洲引き揚げの記録、山本直哉氏の「松花江を越えて」
「長野市民新聞」という地域新聞の連載だが、満洲で生活していた普通の人々の、敗戦とそれに伴う身の処し方が詳細に、リアルに描かれているので、読みごたえがある。
山本氏は当時9歳の少年だったが、その子供の目から見た視点が読む者をひきつける。
氏はこれまで、中国の大学で日本語を教える教師として滞在した見聞を小説風にまとめた作品や、子供時代に暮らした満洲の町々を再訪した際のルポを市民新聞に発表してきたが、いよいよその集大成としての敗戦と引き揚げの記録を「戦争を知らない世代」に語り継ぐという意味をこめての執筆だ。
満洲を守備しているはずの関東軍はすでに南に去り、情報のない現地日本人ばかりが取り残された。
しかし少年の敏感な感性は、まだ具体的に何かが起こったわけでもないうちから、夏休みをすごしながらも心から楽しめない何かを感じ取っていた。
ソ連軍が国境を越えて進撃してきているという情報が流れてきてからの家族、特に父母の対照的な言動が印象的だ。
母親はいちはやく荷物をまとめる準備に取り掛かっているのに、父親の方は現実を受け入れがたいのか、「今そこにある危機」から目をそらし、関東軍の反撃を期待している。
山本家は開拓団ではなく、父親は営林局?の仕事に就いていて、現地の中国人の上で特権的な生活を営んでいた。
その生活を失うのは耐えがたい、信じられない、これがまず大多数の満洲に移住した日本人の心情だっただろう。しかも正確な情報はこの人達には伝えられていない。
関東軍やその家族、軍の周辺には情報は伝えられていて、彼らはいちはやく南下し、ソ連軍の襲撃を免れ、帰国している。
置き去りにされた人々。軍が守ってくれると人々は信じていたが、軍は自国民でも民衆は守らない。侵略し、戦争するためにあるのが軍隊だから。
これから山本家の過酷な引き揚げ体験が語られていくことになるのだろうが、正確な情報が伝えられない状況で人々がいかに悲惨な目にあうかをこの記録は読む者に与えてくれるものになるだろう。
福島の原発事故でも人々は政府の情報がないまま、放射能が拡散していく北西方面に避難していったのだ。
拡散情報を伝える機器はあったのに、「混乱を避けるため」という理由でそれは市町村首長レベルにも知らされず、ただし中央官庁関係者には伝えられていて、彼らは関東軍同様、北西とは逆の方向に避難していた。
飯館村の除染の困難さをルポしたNHKETV特集。
鹿児島川内原発が再稼働に向けて地元同意という手続きを踏んで着々とすすめられているが、いったん事故になれば立地自治体だけではすまされない被害が生じること、福島の事故で目の当たりにしたというのに・・・。
飯館村はその典型的な例で、原発関連の経済的恩恵は何も受けていないのに、全村避難を強いられ、村に戻って生活し、農業を継続するための除染の困難さにぶつかっている。
原発に寄りかかってきた地元自治体が生活のために「再稼働を」という姿はあまりに理不尽。
小泉元総理も言うように「国が脱原発に舵を切って、その方向での政策を勧めれば、地元の経済問題の解決を見えてくる」はずなのに。